沖縄のドクタープレーン

  今年(2006年)の2月下旬、沖縄那覇周辺の航空関連碑の調査を行った。那覇空港東側の丘には陸上自衛隊が駐屯していて、正門近くの港を見下ろす一画に「緊急患者空輸顕彰碑」がある。正門は空港の反対側なので時間に余裕のある健脚者以外はタクシーを利用することになる。

 この碑の由来は次のとおり。1990年2月17日の夜半、交通事故重傷者を宮古島から搬送すべく、那覇空港を離陸した陸上自衛隊101飛行隊の連絡機LR-1(三菱MU-2ビジネス機の自衛隊タイプ)が往路で海上に墜落した。機体は引き上げられたものの原因はいまだもって不明で、自衛隊員3名と同乗していた民間医師1名が殉職した。

 誠に痛ましい事故だが、取材していて沖縄の救急体制が部分的だろうが本土よりも先行しているのに気がついた。この悲劇は現在整備が進むドクターヘリならぬドクタープレーンが遭遇してしまった事故だったのである。

 救急車は緊急患者を病院に搬送するだけで、車内での治療には原則的に対応できないが、最近になって救急救命士の資格者に限り、限定的な治療がほどこせるようになった。これに対してドクターヘリはその名のとおり医師がヘリコプターに同乗して、患者を搬送中に積極的に治療をほどこすので、救命に効果的なシステムである。それで数年まえからドクターヘリの有効性が論議、研究され各地でシステムが各地で立ち上がった。

 驚いたことに沖縄では少なくとも復帰直後から(ひょっとしたら復帰前からかもしれないが・・・)、ドクターヘリと同様のドクタープレーンが運用されている。沖縄の島々への救急活動は航空機といえども患者搬送には長時間を要するので、医師の同乗が不可欠だったのである。

 那覇駐屯地の広報によれば、沖縄周辺の島で緊急患者が発生すると、県に救援の要請が寄せられる。県は陸自の101飛行隊に出動を要請する。阪神大震災で一般国民は認識させられたが、現行法では自衛隊は知事の要請がなければ出動できないのである。そして101飛行隊では出動要請に備え2機と要員2クルーが24時間待機している。冒頭の遭難事故の際も、直ぐに代わりのヘリコプターが宮古島に飛んで重症患者は運ばれた。同時に県は予め登録などをして協力体制下の医師リストから同乗医師を選定して、101飛行隊の待つ那覇空港へ向かわせるのである。そして飛行中に受け入れの病院を決定し、着陸後直ぐに待機させていた救急車で病院に送り込む。つまり自衛隊と県と民間医療機関が一体となって運用しているのである。

 復帰直後には、島から直接101飛行隊に出動要請がなされ、「先に県へ連絡してくれ」というと“たらい回し”的な印象を与え易く、ただでさえ自衛隊への反感が強い時代であったので、対応に苦慮したそうである。

 広報担当官氏が語った緊急患者輸送訓練飛行の夜間同乗体験によると、定期航空の飛ばないような島の飛行場は暗夜の海上にポツンと浮かんでいるような灯りを頼りに着陸する感じで、誠に心細いものだそうである。場合によってはヘリコプターでの出動もあるが、夜間の場合には臨時のヘリポートを自動車が輪になってヘッドライトを照らし、着陸誘導することもあるそうだ。

 本土復帰前の沖縄では米軍が島民の緊急搬送等には対応していた。それを3自衛隊が引き継いだが、以下のように分担されている。

対象フライト主担当副担当
離島緊急患者空輸及び物資空輸陸自空自
船舶緊急患者空輸及び海難救助空自海自
海上捜索海自空自

 陸自は101飛行隊が受け持つが、近年の出動は年間250件を超えてその40%が夜間だという。これ以外にも沖縄周辺では海上保安庁も航空機を多数運用しており、更に消防、警察なども航空機を運用しているのだろうが自衛隊抜きには考えられない体制だそうだ。

 厳密にはこのシステムを、民間主体で運用されている現行のドクターヘリと比較するのは無理だが、航空機に医師を同乗させるシステムが日本でも地域的だが存在していたことは頼もしい限りである。

 広大なオーストラリアの人口希薄な地域では“フライングドクター”のシステムが戦前から運用されて、ドクター自らが操縦幹を握り牧場や農園にしつらえた簡易飛行場“エアストリップ”を使用して急患に対応しているそうだ。

 101飛行隊の受け持つ奄美大島から与那国島まで島々が点在する海域は広さだけではオーストラリアのフライングドクターと遜色ないであろう。地道だがこのドクタープレーンは次第に県民に認知されて、いまや感謝さされているのは言うまでもない。

 冒頭の慰霊碑は沖縄県離島振興協議会が2002年に建立したものである。沖縄周辺島民の安心の要、101飛行隊に栄光あれ・・・・・。

執筆

川畑 良二

(財)日本航空協会

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