特集 エアロバティックス! ジョナサンのいるカンヴァス

特集 エアロバティックス! ジョナサンのいるカンヴァス

「Tomoko? Are you there?」

「Yes, I’m there.」

「Box is yours. Have a nice flight !」
(競技する空域(ボックス)を使って良いですよ)

「Thank you! Proceed to the Box.」
(ボックスに向かいます)

その日は朝から眩しい太陽がさんさんと照り付けていた。カリフォルニアの9月の空はいつもからっとしていて、心のカンヴァスまで青空一色で塗られそうになる。そんな青空を、PITTS(ピッツ)S-2Bという飛行機(図1)でホールディング中、チーフジャッジから無線連絡が飛び込んできた。デラノ空港(図2)の南西、高度3000ftにいた時のことだった。

「きたー!」という気持ちで心臓が踊り出しそうになるのを、ふ~っと深呼吸して落ち着けると、競技ボックスに向かう(図3~5)。

ジャッジ(飛行の点数をつける審判)のいる滑走路を、ちらっと左前方の眼下に収めながら。

5名のジャッジに、5名の意見をまとめるチーフジャッジが、私のアクロバット飛行の点数をつけようと、滑走路脇で待ち構える(図6)。ジャッジにはそれぞれ、フィギュアの形を読み上げるアシスタントジャッジとジャッジの点数やコメントをメモするレコーダがつく。
全員の点数をまとめて、総合成績を出すという形式で競われるのが、競技アクロだ。

 

その米国のアクロバット飛行競技会に初参加の1フライト目。
 緊張がピークに達する中、セーフティチェック(背面飛行してシートベルトとオイルプレッシャー確認)をちゃちゃっと済ませると、私は、高度2500ftまでダイブ、速度160マイルまで加速した。
 「NO.1ハンプティ・バンプ(最初のフィギュア)から開始」
 「25, 16, pull !」と、高度2500ft、速度160マイルの数字の上2桁を意識的に自分に向かって宣言し、最初の「pull !」を声に出しながら、操縦桿を引く。
 自分の体重の4倍以上の重力加速度が、体にぐぐっとかかるのを感じながら、腹筋に力を入れることも忘れない。血液が4Gの下向きの力につられて、下半身までさ~っと下がって意識を喪失しないように、お腹に力を入れて血流を止めているといった感じだ。
 10コのフィギュアを繋げて飛ぶアクロ(図7)。その飛行を1km四方の競技ボックス内(図4、図5の白い枠内)で演技する。競技ボックスは、フィギュアスケートでいうところのスケートリンクだ。

※図7:アクロバット飛行競技会のフィギュアと基礎ルール例

※図7:アクロバット飛行競技会のフィギュアと基礎ルール例

Kは各フィギュアの難易度に応じた係数を示し、ジャッジがつけた点数に乗算して持ち点となる。著者は実際に本シーケンスを飛行。

 

1500ft AGL(Above Ground Level:対地1500ft)を割ったら失格。かといって、高い高度から演技を開始してもジャッジから見えにくく、プレゼンテーション点に響いてしまう。
 ということで、3次元のマネージメントが大事だから、1つ1つのフィギュアを開始する前に、必ず、高度と速度を声に出して演技に入るというわけだ。人というものは、「やりたいこと」を声に出すことで、脳にフィードバックされ、いつの間にか習得できるから面白い。

<ここで一句>
   ボックスで 高度と速度を マネージよ
   プレゼンテーション 魅せるアクロね

そして、先ほどのGを感じながら「pull !」と共に、機体を垂直に立てるわけだが、何しろ、この機体を精度良く垂直に立てることが一番難しい。姿勢が傾いたまま機体を垂直に立てると、その後の飛行方位がずれるなどして、卵型のハンプティ・バンプ(図8)とは、ほど遠いフィギュアになってしまう。下手したら、そのフィギュアは0点だ。
 機体の姿勢がどうなろうとしているのか、視覚を触覚のように研ぎ澄ませて、広く周辺視野も使って、機首方向がどう変わっていくかの景色を見つつ、わずか0.0何秒の間に、飛行機と対話する。訓練を積んで、この対話ができるようになると、楽しくて癖になるからやめられない。

ピッツ「そのまま、機体を垂直に立てる気? 左に傾いていない?」
私「おっとそうだね。姿勢を直すよ」
ピッツ「今だ!プル(操縦桿を引け)!」
私「オッケー!」
ピッツ「いいね。綺麗な卵型だよ」

てな感じに。
 ハンプティ・バンプのフィギュアの飛行が満足にできた時は、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に出てくる、ハンプティ・ダンプティと会話するような、ワンダーランド感も手伝って・・・。と書きたいところだが、なーんてことは、競技会の時に考えているわけはない。
 訓練終了後などに、「今日の私のハンプティ・バンプ、どうだった? 」とアリスのように語りかけると、ハンプティ・ダンプティは、ふっと鼻をならし、「俺の卵型とは程遠いわ」と、偏屈なおじさん風に返してくる。
 悔しいので、どうしたら綺麗にハンプティ・バンプを飛べるのか? 何が課題かを洗い出して、飛行の復習ノートを書き綴ったりしている。
 話は逸れたが、シーケンスの流れに沿い、3番目のフィギュアである、ハーフキュ-バンエイト2×4へと飛行は進む(図9)。

5/8ループをした後、背面のまま45度の降下姿勢を固定したら、「ワンワンタウザン、トゥーワンタウザン(1秒、2秒)」と声に出して数を数える。
 ロールに入る時(図9の2×4)は、「ワン(1/4ロール)、あ、ツー(1/4ロール)」
 ロール後は、「ワンワンタウザン(1秒)」てな感じに。
 何故、数を数えるのかって?
 ロール前と、ロール後の飛行軌跡のラインの長さが同じでなければ減点されてしまうからだ。
 何せ自分からは、飛行軌跡のラインなんて見えやしない。見えるのは、コックピットからの景色だけ。だから、数を数える(時間)ことによって、長さを等しく保っているというわけだ。
 ちなみに数の数え方は、師匠の髙木さんから教わった。「ワンワンタウザン」と声に出して、それで1秒なのか時計を見て確認しながら。

「あの~、ちょっといいですか?」
「はい」
「ロールの後、何故、ワンワンタウザンの1秒で良いのですか? ロール前後で、同じ数を数えないと、長さが同じにならないですよね? あっ、著者のミスですか? 分かりました」
「いえいえ違います!」

飛行機をご存じの皆様なら、何故そうしているか、きっと察しがつくでしょう。何せ、私達は重力の世界で生きてますから、重力の法則も計算に入ってくるのです。
 ところで、ロール前後の長さがどれだけ正確かで点数が良くなるのもさることながら、その前にもっと重要なことがある。
 背面で45度の降下姿勢を維持しながら、ロールしてもその45度姿勢を崩さず、フィギュアを終える。これを習得するのが、なかなか難しいのだ!
 45度の降下姿勢で、しかも背面で、地面に向かっていくと誰だって最初はびびってしまう。
 姿勢が維持できてないことが分かっているのに、最初は積極的な操作ができなかったものだ。
 というか、そもそも地面に目標を取ることも忘れて、今、自分がどんな姿勢で飛行しているのか見えてさえいなかった。
 でも、訓練を積んで臨んだ競技会の時の私は違っていた。タスクを分析すると、表1のような感じだ。

※表1:ハーフキューバンエイト1/4ロール×2のタスク分析~背面45度の降下姿勢の後~

状況認識 ➡

エルロン・ラダー操作 ➡

飛行姿勢
地面に目標を取る目標を動かさないように操作背面45度の降下姿勢
地面の目標を動かさない1/4ロールしながら、トップラダー操作。
(高度の高い方のラダーをきる)
※飛行機がナイフエッジ状態で、ずずっとずり落ちないように、空に一瞬、ラダーという「がびょう」で、ピン止めしている感じ。この操作をしないと重力に従って、45度降下姿勢は崩れ、降下角が深くなってしまう。
飛行機が水平線に対して直角
(ナイフエッジ)(図10)
地面の目標を動かさない1/4 ロールし、左ラダー操飛行機をアップライトに
戻して45度の降下姿勢を維持

 

5/8ループした後の、背面45度の降下姿勢にセットするところから見ていこう。シンプルにするため、細々動かしている機体の縦(ピッチ)のコントロールは、この際、抜かしておく。
 「な~んだ。地面の目標を動かさないように、操作するだけじゃない? 」表1を見た皆さんはそう思われるかもしれません。確かにそう!
 「背面45度の姿勢で目標を取りつつ、その周りを回る」
 それだけのことだ。
 でも、回っているうちに目標は見失うし、操作に一杯一杯だし、地面は近づいてくる。
 だからこそ、
・どのような飛行姿勢でも、視覚を触覚のように研ぎ澄ませて目標にフォーカスする
・周辺視野も使って、周りの状況を認識する
ことが重要になってくる。飛行機との対話だ。
 人馬一体!じゃなかった、人飛行機一体となるかのように。
 その正確な状況認識が、高Gと高速度と背面姿勢の環境下でできた時、飛行機を意のままに操る、精度の高い出力が生まれる。ハーフキュ-バンエイト2×4のフィギュアの完成だ。
 音楽をかけて、フィギュアスケートをしているかのような世界。いや違う。
 飛行技術を追求する、「かもめのジョナサン」のような、高みの世界の一端をそこに視るのだ。

ジョナサン「君も、飛行に取りつかれたね?」
私「全然まだまだよ。あなたは、骨と羽だけになっても、限界を超える速度を身につけたり、毎日、毎日、限界を超える飛行方法を試したりしてるでしょ。本当に凄いことだわ」
ジョナサン「それじゃあ君も、僕と一緒に高みの空にいこうよ。僕は飛ぶことが生きがいなんだ」
私「ええ、そうね。でも私は・・・」

おっと!空は続いているとはいえ、競技会から、かもめのジョナサンが飛ぶ空の世界に入ってしまったようだ。話を元に戻すことにする。

5番目のフィギュアは、大好きなハンマーヘッドターン(図11)。

ハンマーヘッドターンは、まあ何とかできた。
 機体を下に向ける際に、地平線をバシっと切れたかも? いい感じ。下を向く瞬間に地平線を切るナイフのごとしだ。
 8番目、苦手なインメルマンターン。最後のハーフロールの後、姿勢が水平線から下に下がってしまったかもだけど、なんとかできた。後はよく覚えていない。
 飛びきった後、セーフティパイロットの髙木さんにコントロールを渡すと早速、ご指摘の数々。
 特に、ボックスから頻繁に出てしまい、機体をボックス内に収められなかったとのこと。
 3次元の狭い水槽(図5参照)を泳ぐ魚のようで、水槽ならまだ良いがボックスの境界は空気。地上に境界を示すしるし(図4の白枠)があるものの、飛行シーケンスを飛ぶのに集中していると、この境界からピュッと飛び出してしまうのだ。境界から出る度に減点されてしまう。
 あ~ボックス、狭過ぎ!  

ここで一句:
   1キロは あっという間に 出ちゃうのよ
   マッチ箱かな 競技ボックス

10コのフィギュアを飛びきって、もう一杯一杯。
 着陸後、しばらくすると、成績が貼り出された。
 見るの怖いな~、どうせ最下位だろうな~と思ったら、何と、10人中5位!!
 え? ホントに?!
 「思わぬ良い成績で、私も驚いています。良かったですね!」と髙木さん。
 「飯島さんの45度ライン(水平線に対して、機体を45度の角度で降下させる飛行)凄まじく綺麗だったよ(図9参照)。皆、ロールの後、ラインが保ててなかった(45度の姿勢を維持して降下できてなかった)のに、飯島さんは維持できてたよ。僕はピッツであそこまでできない」
 とジャッジをやっていたAさんからも、お褒めの言葉。
 「ホントですか? やった~。これも、髙木さんの訓練のたまものです。姿勢を維持したら、動かさない!動かさない!ってしごかれましたから」
 しかし、かかし・・・。
 2回目の飛行は、後半のロール系のフィギュアがうまくいかず、大分方向が変わって失敗。
 1回目の飛行の反省で、ボックスに収めることに気を使いすぎたのだ。
 髙木さんにも、随分指摘されてしまった。
 自分でも失敗がわかっているだけに、傷に塩を塗られたように、がっかり感を倍増させた。
 あ~何故できないのだろう? 悔しい!とばかりに。
 「ま~落ち着けっていっても無理な話かもしれませんが、良いイメージを持ってください。勝つイメージを。今日はTomokoの日になる、みたいな」
 「なかなかそんなイメージ持てないですね~。でも、頑張って落ち着きます」
 と、髙木さんの励ましに胸がすっと軽くなるのを感じながら、頭の中で、クイーンの「We Are the Champions」を再生してみる。
 すると「競技会では、自分のために飛ぶんじゃない。ジャッジのために飛ぶんだ」と、チェコで最初にアクロバット飛行を習った時のインストラクターの言葉が蘇ってくる。クイーンのフレディ・マーキュリーの「We are the champions We are the champions」の熱唱に応えるかのように。
 そうだ!
 
  競技会 自分のために 飛ぶんじゃない
  ジャッジのために 飛べてこそ勝つ

 明日は、もう1回フライトして、3回の総合成績で順位が決まる。
 2回目のフライトの失敗を少しでも挽回したい。でも、その失敗にこだわり過ぎると、他が崩れる。
 バランス良く、気を配れないといけない。
 明日も、練習のように、いつも通り飛んでみよう。  

  練習は 本番のよう
  本番は 練習ごとく 飛んでみるんだ
  イメージで 300% 飛べてこそ
  100%の 力を出せり

 上手く飛べるかな、競技会で演技するプレッシャーから解放されて日本に帰りたいとの思いとは裏腹に、飛行へのあくなき探求は、いつも私を大空へと飛び上がらせてしまう。

  私も、かもめのジョナサンのように、
  飛行に取りつかれてしまったのかしら?

 心地よい疲労感に任せてため息を漏らしつつ、まだ見ぬ世界に恋焦がれるように、す~っと空を指でなぞってみる。ジョナサンのいる空は、どんな世界なのだろうか?
 飛行技術を追求し続けた者だけが達する光輝く世界。飛ぶことに価値を見出し、誰に頼ることなく努力し続け、工夫して改良していく楽しさを生きがいとした、かもめだけが飛ぶ世界。
 その空のカンヴァスに描かれる多彩な色を、いつか全身で感じてみたい。飛ぶ喜びを追求した先に広がる、世界の色を。

  明日はどんな飛行になるのだろうか?

 カリフォルニアの清々しい青空に吸い込まれそうになりながら、私の瞳は、あの太陽より燃えているかもしれないと、ふと思った。

執筆

風見 星音(かざみしおん )

研究開発職、自家用操縦士、気象予報士 欧州に赴任した際に、アクロバット飛行の訓練合宿に参加。それを機にアクロバット飛行に魅了され、過去に全日本、米国の曲技飛行競技会に出場。現在はヴァイオリン演奏を趣味とし、風を見るパイロットを超えて、星の音を奏でるべく邁進中。

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