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モントリオ−ル条約作成への道程
―源流となった日本の航空運送約款―
坂本 昭雄
2005.10.19
   
   

1.はじめに

 モントリオール条約とは、1999年5月にカナダのモントリオールで作成され、2003年11月に発効した航空運送責任に関する条約である。この条約には世界の主要国の殆どが加盟しており、私法条約としては最も重要な条約の一つである。

 それまで航空会社の運送責任を規律する条約としては、1929年に作られたワルソー条約があり、それが航空事故補償の中心的な役割を果していた。しかしワルソー条約は、作られてから70年以上も経っており、その後それを補足する議定書や協定が作られたが、それらは十分な機能を発揮できず、旅客に対する補償は混乱するばかりだった。それに終止符を打ったのがモントリオール条約である。

 それに先立つ1992年11月、日本の航空会社は一斉に新しい国際運送約款を導入し、実施した。この運送約款では、それまであった国際航空の責任限度額を廃止し、加えて10万SDR(約1600万円)までは無過失責任、つまり航空会社に過失がなくても補償に応じる制度を採用した。

 無過失責任は、事故機が行方不明になって事故原因がわからなかったり、テロリストの起した事故のように、原因はわかっていても加害者に補償する能力がない場合、旅客やその家族を保護することに役立つ。

 日本が導入したこの補償制度は、現代社会のニーズに対応した斬新な制度であるとして国際的に高い評価を受け、特に欧州ではジャパニーズ・イニシアティブと呼ばれ、航空の専門家から「日本がとった啓発的、率先的行動である」と称賛された(注1)。この運送約款が源流となって作り上げられたのが、モントリオール条約の旅客補償制度なのである。

2.航空事故の苦い経験

 ライト兄弟が初めて飛行機を飛ばした20世紀の初頭から近年に至るまでの長い間、航空運送は危険事業であると考えられていた。

 そのため航空事業者の賠償責任に限度額を設けないと、責任保険は掛けることができず、最近に至るまで航空会社の責任制限は航空事業の常識であると思われてきた。だからワルソー条約も、それを改正した1955年のヘーグ議定書も、また1970年代に作られたいくつかの改正議定書も、全て航空会社の責任に限度額をつけた内容だったのである。

 その一方で、航空技術の進歩とともに航空運送の安全性は著しく高められ、他方、航空会社の責任制限に対する利用者の批判は日増しに強くなっていった。このような事情を背景に、日本の航空会社は先ず国内運送約款を改め、国内航空の責任限度額の廃止を1982年4月から実施したのである。

 ところが皮肉なことに、その実施直前の2月9日に衝撃的な航空事故が起きた。福岡発東京行きの日航D C−8型機が羽田空港への着陸進入中に東京湾に墜落し、しかもその原因が病歴のある機長によるエンジンの逆境射という旅客や遺族には釈明のできないものだったのである。もっとも日本航空は、もともと前年の12月から責任限度額なしに切り替えていた。そのため旅客や遺族との補償交渉は、事実上「限度額なし」で進められた。

 しかし、この特異ともいえる航空事故は、会社の関係者たちに深刻な衝撃を与えた。「もし国際航空で釈明不能の航空事故が起きたら、責任限度額の適用をどう説明するのか」と。そして、「どんなに難しくても、国際航空の責任限度額を速やかに廃止すべきである」と。

 加えて、1985年8月におきた御巣鷹山の日航機墜落事故は、別の補償上の問題を引き起こした。この事故は東京と大阪との間の国内運送中に起きたものだったが、事故機には何人もの国際線との乗り継ぎ旅客が搭乗していた。国内旅客に対する責任限度額は既に廃止されていたが、国際旅客には10万S D R(当時換算額2200万円)の責任限度額が存在していた。同一の事故機に搭乗しながら、両者に対する補償制度の違いが問題だったのである。

 その事故原因には、たまたま事故機の修理を行ったボーイング社の責任が絡んでおり、その責任には制限がないところから、同社との共同補償を行うことによって、被害者との補償交渉は限度額を適用しないで進められた。

 しかし、この事故では国内航空と国際航空との制度上の矛盾がクローズアップされ、関係者は「一日も早く矛盾のない責任制度を導入しなければ、被害者に対する適正な補償はできない」との思いを新たにした。

 これらの思いの結集が、1992年の運送約款の改正につながったのである。運送約款の改正に、日本政府や航空法の研究団体からの力強い後押しのあったことは言うまでもない。
 
3.IATAとICAO

 航空事故補償の混乱した状況に心を痛めていたのは、ひとり日本人だけではなかった。同じ思いの人たちは、欧州にも米国にもいた。だからこそ欧州の航空専門家たちは、日本の航空会社が導入した新しい運送約款を「勇気ある措置」と賞賛し、それをジャパニーズ・イニシアティブと名づけたのである。

 世界の航空会社の団体であるIATA(注2)の事務局の人たちもその例外ではなかつた。IATAは、航空会社間の責任協定を新たに作るため、会員各社に呼び掛けて1995年6月にワシントンで「運送責任会議」を開いた。その会議には日本から新しい責任制度の作成に積極的だった日本航空の法務部長が参加した。

 「運送責任会議」は、論議の進め方として航空会社の改正責任限度顛を25方SDR(約4000万円)と想定し、それと他の試案とを比較して、その長短を航空保険の専門家たちを加えて具体的に検討した。

 その結果、その8月に「運送責任会議」の最終案がまとめられたが、それは日本の新しい運送約款に、「補償額の計算は、旅客の住所地の法律に従う」という米国の提案を加えただけのものだった。

 1995年10月、IATAは年次総会でこの最終案を「IATA企業間協定」と命名し、会員各社が、この協定を自社の運送約款に取入れることを決議した。かくして、日本で生まれた新しい運送責任制度は、国際ルールとして世界の舞台へと送り出されたのである。

 民間航空に関する国連の専門機関であり、ワルソー条約をはじめ、いくつもの航空条約を所管するICAO(注3)も、この流れを座視するわけにはいかなかった。

 同じ年の11月、ICAOは新しい条約の作成を検討するために。「専門家グループ」を立ち上げた。理事会はそのグループの勧告を受けて、事務局に新条約草案の作成を命じ、作成された草案を基礎に、1997年4月に加盟国の代表団から成る法律委員会をモントリオールで開催することを決めた。

 ICAOの事務局は、ワルソー条約やその他いくつもの条約や議定書を、未発効のものを含めて司掌しているため、新条約草案はそれらとの整合を考慮する必要があった。一方、草案に対する加盟各国の利害は必ずしも一致せず、更に委員会に参加した代表団の思惑も一つではなかった。そんなことから、事務局草案を基礎として法律委員会が作成した新条約案は、必ずしもスマートな内容の案文だとは言いえないものだった。

 そのため理事会は、特定国の代表からなる「特別グループ」を構成し、法律委員会の新条約案を手直しさせたうえで、それを1999年5月にモントリオールでの条約採択会議に提案した。この会議で最終的に採択された条約が「モントリオール条約」なのである。
この条約は冒頭に述べたように2003年に発効し、既に世界の主要各国を含む約70か国が当事国となっている。日本は2000年6月に受諾書を寄託し、条約の発効と同時に当事国となった。

 かくして混乱を極めた国際航空における航空会社の運送責任は、この条約の発効により漸く世界的な統一を果たせることになった。その源流に日本の航空運送約款のあったことは、改めて繰り返すまでもない。

4.おわりに

 1993年3月のことである。英国のロイド保険組合の機関紙が、日本の新しい運送約款を記事として取り上げ、「昇る太陽、東方からの光が世界を照らす」との見出しをつけた。

 それから10年の歳月を経て、その見出しは現実のものとなった。しかし、この光には航空事故の苦い経験が下敷きになっており、また、航空会社の重い社会的責任を考えれば、その現実化は当然の帰結だったとも言える。

 今日の航空運送は、国際航空と国内航空とが一体となり、グローバル化し、ネット化している。世界全体の航空運送が、「モントリオール条約」を軸として、統一された責任制度のもとに早急に置かれることが強く望まれる。

 その意味で、1992年に日本が国際運送約款に導入した10万SDRまでの無過失責任制度は、日本の国内航空でも速やかに導入されることが望まれる。特に、現代におけるテロリズムの台頭を考えれば、御巣鷹山事故で経験した国際旅客と国内旅客との差別を繰り返さないためにも、国内運送約款を一日も早く改正して実現すべき課題なのである。

(注1) ピン・チェン博士は専門誌「航空宇宙法」の1993年6月号に掲載した論文「航空企業の旅客死
傷に対する責任」の中でそう述べている。
(注2) 国際航空運送協会。航空会社の国際団体である。2005年1月の時点での会員数は264社に上る。
(注3) 国際民間航空機関。1946年のシカゴ条約により設立された、政府の国際的機関である。
                             

- さかもと てるお、 元関東学院大学法学部  法学研究科教授 -



**編集人より**
この文は2005年10月19日に初掲載され、2005年11月25日に加筆されました。
         
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