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 日本の安全文化は崩れかけているのか  
-ヒューマンファクターを考える(10)-
黒 田  勲
2006.11.15
   
   
  最近、約10年の日本産業の安全文化が、いささか異常である。

 高い安全水準を標榜している原子力産業が次々と事故を起し、しかも段々と重大度がエスカレートして遂に臨界事故まで起してしまった。さらに核燃料輸送キャスクのデータ改ざん、定期点検時の圧力容器漏えい試験データの積極的改ざんまで行われ、企業の歴代トップマネージャーが揃って退陣するという不祥事にまで発展している。大きな機能病院で次々と医療事故が発生し、いくつかの大手食品企業が狂牛病対策としての国家買い上げ制度に便乗して不正な詐欺行為を行っていることが判明した。大手乳業製品による15,000人に近い食中毒の発生、自動車会社のリコール隠しなど、ブランドと呼ばれる日本企業の安全文化が全体的に崩れかけてきているのではなかろうかと心配になってしまう。

 日本人の基本的精神構造には、欧米の一元論的価値判断とは異なり、多様な価値観を受け入れることのできる、こころの広さや、柔軟性を持っているといわれる。このことは裏返せば「あいまい」、「優柔」のそしりも受ける。作業者の行動の価値判断にも「ホンネ」と「タテマエ」が葛藤している。「タテマエ」の安全性と、「ホンネ」の経済性、効率性のどちらを選ぼうかとの迷いが生じる。社会の経済不況が続き、企業がリストラなど存続の危機感をつのらせると、「ホンネ」と「タテマエ」との距離はますます開いてくる。忠実な社員は誰でも「ホンネ」である会社の経済性を高めるために商品名の偽装や、期日を遅らせないためのデータ改ざん、損失防止のためのリコール隠しに走り始めることは自然の成り行きである。

 問題は、目前の企業自体の哲学にしか焦点を合わせられない、視野狭窄に陥った企業、言い換えれば「低い安全文化」の企業が余りにも多くあることが暴露してきたことである。

 いろいろな仕事の意思決定をするときに、確かに「ホンネ」と「タテマエ」との「目標のジレンマ」に悩むことがある。

 かつて、悪天候で着陸判断に悩むパイロットに、松尾静磨元日本航空社長が「臆病者と言われる勇気を持て」という名言を残している。

 企業が果たす役割として、社会のための「安全」、「安心」、「正義」とは何であろうかとの価値判断の出来る、「安全の哲学」、「安全の文化」、「技術者の倫理」を改めて構築し直す必要がありそうである。「臆病者」のそしりに耐える勇気とともに、「臆病者」と呼ばない安全文化が必要になってきている。
 

くろだ いさお、日本ヒューマンファクター研究所 所長

冊子版「航空と文化」2003年夏季号より転載
このシリーズの最終回となります

 
         
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