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我が国の固体ロケットと宇宙科学

宇宙航空研究開発機構名誉教授
小野田 淳次郎

*本記事は『航空と文化』(No.108) 2014年新春号からの転載です。
2014.4.25
 
     
 

1.序

 昨年9月14日に鹿児島県大隅半島にある内之浦宇宙空間観測所から我が国の新型の固体ロケットであるイプシロンロケットの初号機が科学衛星「ひさき」を成功裏に打ち上げた。2006年9月23日にM-V型ロケット7号機が「ひので」を打ち上げて以来7年の空白の後の久々の固体ロケットによる衛星の打ち上げだった。此処ではこれを機に、我が国の固体ロケットの発展の経緯と、それが果たした役割、特に宇宙科学の発展への貢献について、私見も交えて振り返るとともに、イプシロンロケットへの期待をも述べる。
 なお、此処で述べる内容の殆どはインターネットで入手できる情報であるので、参考文献や画像などは省略する。

2.固体ロケット(固体燃料ロケット)と液体ロケット(液体燃料ロケット)

 先ず、本題に入る前に、固体ロケットとはどのようなものであるか、簡単に説明しておく。一般に、「ロケット」という言葉は2つの意味で用いられる。H-ⅡAロケットやイプシロンロケットのように、「ロケット機」を表す場合もあれば、他方ではH-ⅡAロケットの第2段は液体ロケットであるという様に、「ロケット推進系」を表すこともある。多くの段に固体推進系が用いられているロケット機を固体ロケット、液体推進系が用いられるロケット機を液体ロケットと呼んでいる。本稿でも上記二つの意味の「ロケット」を混用することをご容赦願いたい。
 現在、ほとんどの大型ロケット機は液体ロケットである。図1-aは液体ロケット推進系の一例を模式的に示したものである。タンクに貯蔵した液体の燃料と酸化剤をポンプで加圧し、ロケットエンジンの燃焼室に送り込み、発生した高温高圧の燃焼ガスをノズルから噴出して推進力を得る。
 図1-bは固体ロケット推進系の一例を模式的に示している。図のようなモータケースと呼ばれる容器に固体の推進薬、つまり、燃料と酸化剤の混合物が充填されている。現在では、酸化剤である過塩素酸アンモニウムの粉末と燃料の一部であるアルミニウムの粉末を、燃料の一部であるポリブタジェン樹脂で固めたものが使用されることが多い。外見も触った感じも砂消しゴムに似ている。推進薬の中心には図示のような穴があり、ロケットに点火するとこの穴の内面から燃焼し、発生した燃焼ガスがノズルから噴出することにより推進力を得る。図のように、推進薬を充填したモータケースにノズルを取り付けた固体ロケット推進系は、「ロケットモータ」と呼ばれる。固体ロケットは液体ロケットに比べて一般的には構造が簡単で、推進力も大きいが、燃費は劣り、燃焼を途中で中断させることも困難である。推進力が大きいことから、大型の液体ロケット機のリフトオフに固体ロケット推進系を補助ロケットとして使用することが多い。
 
 
図1 液体ロケット推進系と固体ロケット推進系の概要


 
 

3.我が国の宇宙飛翔技術の発展の経緯

 図2は我が国の宇宙飛翔技術の発展経緯の中での重要な出来事を私見をも交えて簡単に整理したものである。左の列は我が国の固体ロケット関係、中央の列が我が国の液体ロケット関係、右の所の糸川教授をリーダーとするチームが、ロケッ列は参考までに世界の動きを示したものである。トの研究を始め、1955年にペンシルロケットの試射を行っている。この直径2cmにも満たない
 
 
図2 我が国の宇宙飛翔技術の発展に関わる主な出来事
 
 

3.1.草創期

 小さなサイズは、当時手に入る固体推進薬のサイ我が国の宇宙開発活動のルーツをたどるとペンズに合わせた結果と言われている。小型ではあるシルロケットにたどり着く。戦後、日本の航空研が、少しずつ条件を変えて多数の試験を行い、基究が解禁されて間もなく、東京大学生産技術研究本的な知見を得た。その年の内に更に大型のベビーロケットも開発、試射されるなど、開発研究は精力的に進められた。この2年後には世界初の人工衛星スプートニク1号が成功する頃だった。
 その頃、世界の研究者が共同で地球の全体像を明らかにしようとする国際地球観測年(IGY)の一環として世界各地からロケットを打ち上げて上層大気を観測する計画がすすめられていた。日本もこれに参加できるよう、そのためのロケットの開発が文部省経由で糸川チームに依頼された。以降このための観測ロケット開発に向けて研究は加速され、1958年にはK(カッパ)-6型ロケットが高度60kmに達し、何とか自前のロケットでIGYへの参加を果たした。
 この出来事は2つの意味でその後の流れに影響を与えた。第一に、ロケット開発の目的に宇宙科学が加わり、観測ロケットの開発が加速された。第二に、上層大気観測の様な理学研究とロケット開発の様な工学の連携が始まった。この理学と工学の連携の「文化」は現在まで続いていて、理学・工学双方を含めた日本の宇宙科学の効率的な発展に大きく貢献してきた。

3.2.観測ロケットの時代

 観測ロケットの開発研究はその後も順調に進み、1960年にはK-8型ロケットが高度200kmに達するようになり、観測ロケットを用いた本格的な宇宙空間観測や実験が活発に行われる時代が始まった。観測ロケットは地球周回軌道には入らず、弾道飛行の後に地表に落下するロケットである。観測ロケットの性能は引き続き向上し、1966年にはL(ラムダ)-3H型ロケットが高度2000kmにも達するようになった。現在国際宇宙ステーションが飛翔している高度の約5倍の高度である。
 世界に目を向けると、米ソの宇宙開発競争は激しく、翌年にはヴォストークによる有人宇宙飛行が実現する頃であった。

3.3.人工衛星の時代の幕開け

 観測ロケットの性能が向上してゆく中で、この固体ロケット技術を利用して人工衛星を打ち上げるプロジェクトが始まった。度重なる失敗と苦労の末、1970年に東京大学宇宙航空研究所はL-4S型ロケット5号機で我が国初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功した。これにより、我が国も人工衛星の時代を迎えた。世界で4番目の自力打ち上げ国であった。
 「おおすみ」を打ち上げたL-4S型ロケットは、直径0.74mの4段式固体ロケットで、第一段、二段の姿勢は空力安定、第三段、四段はスピン安定、第三段と四段の間のコースティングフェーズで姿勢を水平方向に制御する方法で人工衛星の打ち上げを可能としたものだった。当時「風まかせ方式」と揶揄されることもあったが、当時は比較的未成熟であった姿勢制御をただ一回に抑えて人工衛星を確実に打ち上げるための工夫であった。
 世界に目を向けると、既にこの一年前にアポロ11号が有人月着陸を達成していた。

3.4.Mロケット

 L-4S型ロケットは、技術習得用の小型機だったので、習得した技術を用いて実際に科学観測を行う科学衛星を打ち上げるためには、より大型のロケットを開発する必要があった。このロケットがM(ミュー)ロケットである。「おおすみ」成功の翌年にはM-4S型ロケットが初の科学衛星「たんせい」を打ち上げている。Mロケット開発にあたっては、科学衛星打ち上げ能力を出来るだけ早く獲得し、その後の節目ごとにその時点での科学衛星からの要求と最新技術を取り込みながらこれを高度化してゆく戦略がとられた。結果として多数のバージョンのMロケットが開発され、Mロケットシリーズが誕生した。
 最初のバージョンであるM-4S型ロケットは言わばL-4S型のスケールアップであった。続くM-3C、M-3H、M-3Sの3バージョンの開発の過程で、機体構成は4段式から3段式に簡素化され、打ち上げ能力も強化され、第一段、第二段にも姿勢制御が導入されて運用性が大きく向上した。この4バージョンでMロケットは日本の宇宙開発の比較的初期の14年間に13機の科学衛星を成功裏に打ち上げている。
 世界に目を向けると、既にパイオニア10号による木星以遠の探査やサリュート6号による本格的な有人宇宙ステーションの運用がなされていた時代である。

3.5.液体ロケットと静止衛星の時代の幕開け

 此処で、我が国の液体ロケットに目を向けよう。我が国で最初に飛翔した液体ロケットはLS-A-2号機である。このロケットの第一段は固体であるが、第二段は液体ロケットであり、1964年に新島で成功裏に打ち上げられた。このように自主開発を目指していた液体ロケットの開発は、早期の実用衛星打ち上げ手段の確立に対する強い要請と、米国側から提案があったことを踏まえて、米国からの技術導入へ方向転換された。まもなく「おおすみ」が成功する頃だった。米側から提案があった背景には、我が国の固体ロケット技術の順調な発展があったと想像できる。
 この方針に従い、その後の10年程度の間にN-Ⅰ、N-Ⅱロケットが成功裏に開発され、N-Ⅰ-3号機は1977年に我が国初の静止衛星「きく」2号の打ち上げに成功した。これにより、我が国の静止衛星の時代が始まった。なお、N-Ⅰロケットの第二段のロケットエンジンLE-3は我が国で開発したものである。この技術導入により、我が国は液体ロケット技術について多くを学び、1993年のH-Ⅱ、2001年のH-ⅡAロケットの成功に向けて実力を蓄えた時代である。

3.6.惑星間探査の時代

 固体ロケットに話を戻すが、Mロケットの5番目のバージョンはM-3SⅡである。惑星間ミッションからの要望に応えるため、第一段以外のすべてに新しいロケットモータを新規開発し、打ち上げ能力を2.5倍以上に増強した。その一号機は1985年に探査機「さきがけ」をハレー彗星にむけて打ち上げた。「さきがけ」は日本初の惑星間探査機で、地球の引力圏を脱出した日本初の人工物体となった。これにより、日本の惑星間探査の時代が幕を開けた。

3.7.惑星探査の時代

 Mロケットの6番目のバージョンは、M-Vロケットである。惑星探査を含む高度な科学ミッションからの要望に答えるために、最新の技術を導入し、全段を新たに開発して打ち上げ能力を更に2.5倍近くに増強するとともに、機体構成の簡素化を図り、価格の上昇を抑えた。機体の直径は2.5m、打ち上げ時重量139トンで、全段固体ロケットとしては世界最大のロケットとなった。そして大きさだけではなく、世界で最も性能の高いロケットとも言われた。
 1998年、M-V-3号機は我が国初の火星探査機「のぞみ」を成功裏に打ち上げ、日本の惑星探査の時代が幕を開けた。残念ながら「のぞみ」は探査機の不具合により、火星に到着しながらも火星周回軌道への投入はできなかった。2003年にはM-V-5号機が小惑星サンプルリターン技術獲得を目指した「はやぶさ」を打ち上げた。「はやぶさ」は様々なトラブルを乗り越え、2010年に小惑星「イトカワ」の微小なサンプルを収納したカプセルを地球に帰還させ、世界初の大きな成果を上げた。M-Vロケットは高度な惑星ミッションをも担える高性能なロケットであったが、2006年9月の太陽観測衛星「ひので」の打ち上げを最後に、次期固体ロケットの速やかな開発開始を想定しつつ任務を終了した。
 このように、我が国では固体ロケットが多くの新しい「時代」を切り拓いてきた。

4.固体ロケットが支えた宇宙科学

 次に、上記の固体ロケットが、日本の宇宙科学を如何に支えてきたかについて簡単に紹介する。宇宙科学とは天文学等の理学分野だけでなく、宇宙工学をも含むものである。
 図3は、これまでに成功裏に打ち上げられた我が国の宇宙科学関係の衛星と探査機を示している。此処で、地球周回軌道ではなく、惑星間軌道に投入された宇宙機を探査機と呼んでいる。日本では衛星や探査機にひらがなの名称をつける習慣があり、この図には主としてこの名称を示している。衛星名称欄背景の黄色は、その衛星・探査機が固体ロケットで打ち上げられたことを示している。横軸は打ち上げた年を示している。更に、前節で述べたMロケットの各バージョンが現役であった年代をも示している。各衛星・探査機の名称の右に続く各色は、其々の衛星・探査機が左上に示した宇宙科学の各分野の内のどの分野を担ったかを示している。中には二つの分野を担ったものもある。
 
 
図3 宇宙科学に関する我が国の衛星・探査機

 
 

4.1.宇宙工学分野

 先ず、宇宙工学のためには、「たんせい」1号~4号(1971-1980)、「さきがけ」(1985)、「ひてん」(1990)、「はるか」(1997)、「はやぶさ」(2003)が固体ロケットで打ち上げられている。初期の頃のたんせい1号から4号は、ロケットの性能確認のほか、衛星のバス系、センサー系の様々な基本的な技術の習得や実証を行い、その後の様々な衛星開発に大きく貢献した。「さきがけ」、「ひてん」ではその後の惑星間ミッション、惑星ミッションに必要な基本技術を実証した。「ひてん」はスイングバイ等の様々な実験終了後、月周回の後に月面に衝突させたが、米ソを除けば月周回軌道に入った世界初の探査機であった。「はるか」は、衛星に搭載した大型展開アンテナと地上のアンテナとで天体から届く電波を同時に観測して、宇宙天体を極めて高い角度分解能で詳しく観測するスペースVLBI技術に必要な技術の習得と実証を行い、それが成功した後は実際に天体観測を行い、天文学的な意味でも大きな成果を上げた。小惑星からサンプルを持ち帰る技術習得を目指した「はやぶさ」は前述のように大きな成果を上げた。その他に、再使用型衛星技術の実証と各種宇宙実験を行ったSFU(1995)、先進的衛星技術の実証を行った「れいめい」(2005)、世界で初めてソーラーセイル技術を実証した「イカロス」(2010)が液体ロケットで打ち上げられている。

4.2.宇宙プラズマ物理学分野

 次の宇宙プラズマ物理学分野では、「しんせい」(1971)、「でんぱ」(1972)、「たいよう」(1975)、「きょっこう」(1978)、「じきけん」(1978)、「おおそら」(1984)、「あけぼの」(1989)、GEOTAIL(1992)が打ち上げられた。この分野は観測ロケットの時代から活発であったこともあり、衛星の時代に入って間もないころに多数打ち上げられている。これらの衛星は、太陽風等との相互作用も含めて、地球の磁気圏等での様々なプラズマ物理学的な現象、たとえばオーロラや磁気嵐などを引き起こすような現象、放射線帯の生成等々の理解のために、多くは現象が起きているその場に赴いてプラズマ現象を測定し、我が国の宇宙科学の初期から活発に成果を上げている。なお、GEOTAILは日米共同ミッションであり、アメリカの液体ロケットで打ち上げられている。また、「あけぼの」とGEOTAILは現在も活躍中で、20年以上の長寿命衛星となっている。

4.3.天文、宇宙物理分野

 天文、宇宙物理分野では、「はくちょう」(1979)、「てんま」(1983)、「ぎんが」(1987)、「あすか」(1993)、「すざく」(2005)、「あかり」(2006)、「はるか」(1997)が打ち上げられている。これらの科学衛星は宇宙の構造と成り立ちを理解するために、X線、赤外線、電波のように様々な波長の電磁波で天体を観測している。地球の大気を透過する電磁波は特定の波長に限られるので、衛星により地球大気の外から観測を行うものである。上記の「はくちょう」から「すざく」までの5衛星はX線で天体を観測するX線天文学を担う衛星である。X線天文学では我が国は早くから高い成果を上げていて、我が国のお家芸とも言われている。「すざく」は現在も現役であり、その取得した観測データに基づく論文が毎年百数十件も学術誌に発表されている。「あかり」は赤外線の領域で天体を観測し、貴重なデータを大量に取得した。「はるか」は工学分野の項で述べたように、世界で初めてスペースVLBIと言う技術により、例えば富士山の頂上にある一円玉の模様を東京から読み取ることに相当するほどの高い角度分解能で天体を観測して高い成果をあげた。

4.4.太陽物理学分野

 太陽物理学分野では、「ひのとり」(1981)、「ようこう」(1991)、「ひので」(2006)が打ち上げられた。これらは可視光やX線で太陽表面を詳細に観測し、様々な新しい現象を発見し、多くの成果を上げてきた。「ひので」は現在も活躍中で、その取得したデータを使った論文が毎年100編以上学術誌に発表されている。

4.5.惑星探査分野

 惑星科学の分野では、M-3SⅡロケットが開発されて以降、ハレー彗星フライバイミッションの「さきがけ」(1985)、「すいせい」(1985)、火星探査ミッションの「のぞみ」(1998)、小惑星サンプルリターンミッションの「はやぶさ」(2003)、月探査ミッションの「かぐや」(2007)、金星探査ミッションの「あかつき」(2010)が打ち上げられている。このうちM-V型ロケット引退後の「かぐや」、「あかつき」は液体ロケットであるH-ⅡAロケットで打ち上げられている。「あかつき」は金星に到着しながらも探査機の推進系の故障で、金星周回軌道に投入できていないが現在も健在であり、金星と再会合する2015年に金星周回軌道へ投入すべく準備が進められている。

5.此処までの纏め

 此処で、第3節と第4節を以下の様に纏めておきたい。
 日本のロケット開発は、大学における研究として、ペンシルロケットから始まった。この固体ロケット技術は、3年後には国際宇宙年活動への参加を支え、宇宙科学がロケット開発の目的の一つとなった。15年後にはL(ラムダ)ロケットにより日本初の人工衛星が実現し、この技術を継承してM(ミュー)ロケットシリーズが開発された。Mロケットは各時点での最新技術を織り込みながら宇宙工学研究の一環として順次高度化され、惑星探査ミッションをも行える世界的にも珍しい高性能の固体ロケットにまで育った。この間にMロケットで打ち上げられた工学衛星は、その後の高度な科学ミッションに必要な様々な技術を実証した。この基盤の上に我が国の宇宙科学は様々な分野で大きく開花し、欧米と三極をなすに至った。この宇宙科学の発展の背景には、宇宙工学と宇宙理学の密接な協力関係があった。
 

6.これからの固体ロケット

 では、我が国の固体ロケットの今後はいかなるものであろうか。冒頭で述べたように、昨年9月、我が国の新しい固体ロケット、イプシロンロケットが小型科学衛星「ひさき」を成功裏に打ち上げた。これからの我が国の固体ロケットはこのイプシロンロケットである。

6.1.イプシロンロケット

 このイプシロンロケットの第一段にはH-ⅡAロケットの固体ロケットブースタ(SRB-A)を、第2段と第3段にはM-Vロケットの第3段と第4段のロケットモータを、其々改良の上、使用している。多くの搭載電子機器もH-ⅡAロケットから流用している。これにより、新規開発を避け、信頼性、開発経費、1機あたりのコスト等の点で大きなメリットを引き出している。更に、第4段に相当するオプショナルな小型液体推進段を用意し、固体ロケットの苦手な最終速度の微調整を容易にしている。イプシロンロケット初号機は全備重量91トン、地球周回低高度軌道への打ち上げ能力は1200kgで、共にM-Vロケットの約2/3の規模である。イプシロンロケットは第2段、3段のロケットモータや搭載電子機器等を中心に、更なる高度化等が検討されている。
 イプシロンロケットは、低価格で即時性の高い小型衛星打ち上げ手段の確保ともに、我が国が培った固体ロケット技術の継承と更なる発展を目指している。そこには、上述のようにH系ロケットとのコンポーネント共通化によるコスト削減を図るとともに、輸送システムの目指すべき新たな方向への第一歩として、自動チェックアウトシステムの導入等による打ち上げ作業の大幅な簡素化、短時間化等による「使いやすいロケット」の実現に向けた新たな工夫がなされている。

6.2.イプシロンロケットが支え得るミッションの動向

 宇宙科学ミッションの状況を見ると、これからの宇宙科学で世界を先導するためには、Mロケットが支えてきた規模を超える規模のミッションとならざるを得ない分野もある。一方で、限られた予算の中で頻度高く世界規模の成果をあげる為に、尖鋭的に目的を絞った上で低コストな小型ミッションを高頻度に実施すべき分野もある。つまり、宇宙科学ミッションの規模は多様化している。そのうちの小型科学衛星は、イプシロンロケットで打ち上げることを前提に計画が進められてきた。イプシロンロケット1号機が打ち上げた「ひさき」もこの小型科学衛星の一つであり、来年には小型科学衛星ERGをイプシロンロケットで打ち上げる計画である。更にその先を展望した宇宙科学ロードマップの議論の中でも、イプシロンロケットの活用を念頭に、衛星・探査機の小型高機能化に向けた工学研究や、その成果を活用した高度な宇宙科学ミッションの高頻度な実施が重視されるとともに、イプシロンロケットの更なる高度化への期待が高まっている。
 科学衛星以外では、小型地球観測衛星、ASNAOシリーズがイプシロンロケットの打ち上げ能力にほぼ適合している。初号機はイプシロンロケットの開発スケジュールとの整合性の関係で、海外のロケットで打ち上げられる計画となっているが、政府衛星の打ち上げには基幹ロケットを優先的に使用するとの国の基本方針もあり、ASNARO-2はイプシロンロケットでの打ち上げを中心に検討されていると推測する。また、東南アジア等の海外小型衛星の打ち上げもイプシロンロケットが担うことが期待されている。

6.3.その他の動向

 今までは比較的小型のロケットに限られていた固体ロケットであるが、ESA(欧州宇宙機関)が検討を進めていた次世代のアリアン6ロケット(静止軌道3~6.5トン)に、第一段、第二段が固体ロケット、第三段が液体ロケットという構成が昨年選定された。欧州の主力大型ロケットであり、衛星の商業打ち上げの代名詞の様な存在であるアリアンロケットについて、この構成が総合的に最も有利との判断がなされたことは、固体ロケットがまだまだ大きな可能性を秘めていることを示す出来事である。
 また、国として宇宙政策を議論する宇宙政策委員会で昨年了承された文書には、H-ⅡA、H-ⅡBロケットに加えてイプシロンロケットを基幹ロケットに位置付けること、イプシロンロケットの打ち上げ能力については政府ミッションを担う小型衛星の動向を踏まえて必要な能力の確保を図ること、イプシロンロケットの価格低減のために高度化技術開発等の措置を推進することが明記されている。

6.4.これからの固体ロケットイプシロンへの期待

 以上を踏まえて我が国の固体ロケットであるイプシロンロケットの今後を展望する。先ず我が国ではこれまでほぼ科学ミッションのみを支えてきた固体ロケットであったが、これからは広く小型衛星・探査機ミッションを支える重責を担うこととなる。また、イプシロンロケットの更なる高度化に対する期待は大きく、衛星・探査機からの要請を踏まえて、必要な能力確保や「使いやすいロケット」に向けてのさらなる進展があるものと期待する。更に、イプシロンロケットで実証した新規技術が、我が国の大型ロケットの高度化にも大きく貢献することを期待する。宇宙科学はパワーユーザーの一つとして、また、独自の固体ロケット技術を培ってきた母体として、今後も固体ロケットの高度化に大きく貢献することを期待する。
 
  (おわり)   
  宇宙航空研究開発機構名誉教授

小野田 淳次郎(おのだ じゅんじろう)
 
 
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