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モンゴル航空事情        加戸 信之
2006.03.24
   
   
モンゴルとは
 モンゴルといえば何と言ってもチンギス・ハーンの国であり、今年はモンゴル帝国建国800年という記念すべき年である。

 ロシアと中国という二つの超大国に南北を挟まれた平均標高1,500mの高原の国で、面積は日本の約4倍、人口は約250万人。約100万人が首都ウランバートルに集中して、残る150万人が広い国土に分散しその大半が未だに遊牧生活を送っているという国である。その遊牧家畜は計2,400万頭で人口の約10倍いるという。
 1920年代よりソ連の支配を受けてきたが1990年のソ連邦崩壊により東欧諸国の後を追って民主化。しかしソ連の援助が無くなったことや、民主化への移行の混乱で国力は大幅に落ちこんだ。日本を初めとする諸外国の援助でようやく経済自立の道を歩み始め、2005年の経済成長率は10.6%を達成した。そんな地球最後の遊牧国家の航空事情を簡単にご紹介したい。

モンゴルの航空の歴史

Y-13
AN-2
IL-14

AN-26

 1925年にソビエトから友好の記念として贈られたドイツ製のYunker-13型貨物機が着陸したのが航空の始まりで、昨年は航空開始80周年記念行事が催された。

 民間航空は戦後の1946年に日本製のSuper Airplane 7機とソビエト製複葉機Po-2 1機で国内輸送が開始された。

 1956年、ソ連より提供された5機のAntonov-2により定期便の運航が開始され、1958年には14機のAN-2と7機のIljushin-14型機により130の空港に11605人の旅客と363700 Kgの貨物郵便を輸送した。驚くことに、このAN-2複葉機がまだ現役で飛んでいる。

 1987年、モンゴル国営航空MIATがソ連よりLeaseしたTu-154により始めての国際線であるMoscow、Irkutsk、Beijing路線の運航を開始。

 民主化後の1993年にはMIATは100%国営ながら自主経営企業として歩みだし、12機のAN-24、3機のAN-26、5機のYu-12(中国機)、45機のAN-2、1機のB727、1機のAN-30と計68機を擁していた。更に翌年には韓国から2機のB727中古機を購入。なお、この2機は日本から韓国に売却されたものである。

 MIATは1996年にIATAに加盟したが安全監査は未だ受けていない。1998年に国際線用にA310-300 1機をAirbus社より、2002年にはB737-800 1機をIrelandのGATX社からLeaseした。

 日本との航空協定は1993年に結ばれ1996年からOSA(伊丹空港)、現在はKIX(関西空港)とNRT(成田空港)に乗り入れている。この間に、B727をAfricaに売却。またソ連、中国製の旧型機は老朽化とMakerのSupport体制崩壊で次々と廃棄処分にせざるを得なかった。特にAntonov社が経年機対策を行えなくなったのが痛手であった。

航空会社
 現在MIATはA310、B737、AN26各1機を保有するのみである。国内線はこのわずか1機のAN26で運航しているが、これも長くてあと数年の寿命であろう。

 このような状況から、政府はMIATの独占状態をあきらめ、純民間航空会社を認可し始めたため、現在下表のように小さな航空会社が乱立気味になっている。
  

会社名 運航形態 機数 機種 座席数
MIAT 国際/国内
定期
3 1 A310
1 B737-800
1 AN26
216
170
40
Aero Mongolia
(2003年)
国際/国内
定期/チャーター
3 1 Fokker100
2 Fokker50
100
50
Hangard 国内定期 4 2 AN38
2 AN120
30
Trans Ulgii 国際定期 1 1 AN24 48
Blue Sky チャーター 1 1 Cessna208 10
Monmet チャーター 2 2 AN2 12
CMA ヘリチャーター 3 3 Mig8 20
Sky Horse ヘリチャーター 2 2 Mig8 20
Agro 農林管理 7 7 AN2 12
Eznis Airways
(2006年6月)
国内定期 2 2 SAAB340 30

空港
 空港数は下表のように計23あるが、舗装滑走路があるのは5空港、夜間照明施設があるのは7空港のみである。また大型Jetが着陸できるのはウランバートル空港のみで、代替空港は国内にはない。

空港総数 複数滑走路空港 舗装滑走路空港 照明施設空港
23 4 5 7

 そのウランバートル空港も南と西側が山に囲まれているため、離着陸は北側のみしか利用できない。特に風の強い春先を初めとする年間5ヶ月は空港利用可能時間が85%以下となりICAOの基準95%を大幅に下回っている。

 航空局は現在の空港の南、ウランバートル市より48kmの地に新空港建設を望んでいるが未だに資金的な目途は全く立っていない。なお空港は全て国営である。

航空需要

 左表の通り、民主化前の1989年には国内で約80万人の旅客数を数えたが民主化後に激減し、2005年でも約12万人程度である。

 主たる原因は社会主義時代の採算を度外視した運営で国内航空運賃が超低価格に抑えられていたものが民主化後に大幅に高騰したことと、前述の通り運航機数が激減したことによる。

 一方、国際線旅客は順調に伸びており1999年に国内旅客を上回り更にその差を広げている。これは主に外国社の乗り入れが増えたためである。それでも両者を合わせても民主化前の数には達していない。

領空通過

 モンゴル内の便数は極めて少ないが、領空通過機は左表の如く大幅な伸びを続けている。2004年は47,000便を超え、一日当たり130便で、航空局の重要な資金源になっている。


 その殆どは左図のように中国、韓国、タイ、シンガポールとモスクワを含むヨーロッパと米国を直行で結ぶ便である。2008年の北京オリンピック時には大変な数の便が通過するものと期待されており、現在そのために管制官の養成を急いでいるところである。

 更にモンゴル領空通過には管制体制の問題がある。管制用レーダーが一つもなく、ただ一つのVOR/DMEと先進国では殆ど姿を消したNDBがあるのみである。従って管制間隔は洋上並みの15分が必要だが、特例として10分を適用している。これは南北を挟んでいるロシアと中国空域がレーダー管制されているため15分ではあまりに差が大きく、管制移管ができないと圧力を受けているためである。

 2008年の大量通過対策としてレーダーの導入など種々検討されているが、これも資金手当ての目途が立っていない。残念ながら日本の便は一便も通過しておらず、ヨーロッパに向かう便は全てロシアの空域を通過している。

航空局
 航空当局についても触れておきたい。航空局は道路、運輸、観光省の下部組織でウランバートル空港近くに居を構えている。職員総数は約1,500名で本部職員は132名、管制官は122名。驚くのはウランバートル空港に900名の職員を抱えていることで、Security staffも全て職員である。更に貨物部門は空港が直接管轄しておりその職員もこの中に入っている。

 年間予算は約25億円。前述領空通過料とLanding Feeの収入は約37億円。収入は全て財務省に入り航空局に別途令達される。つまり航空局は10億円以上を政府に上納していることになる。

 ICAOには1989年に加盟し、ICAO安全監査は部分的に三回行われたが未だに指摘項目の改善が完了していない。

最後に
 この国の航空界は民主化後の混乱から立ち直ったとは言い難く、航空先進国並みになるのは容易ではないだろう。組織運営は効率的とは言えず、勤労意欲も決して高いとは言い難い。深刻な資金難から250万の人口とは言えこの広い国内の航空需要を満足させるにはまだ相当の時間がかかるだろう。

 しかし、一応MIAT航空の民営化が閣議決定されたことでもあり、航空局内にも僅かではあるが大変有能で意欲的な若手管理職が現れているので将来は暗いばかりではないと思われる。モンゴル馬同様、遊牧の民の足として航空便が気軽に利用できるようになる日が近いことを願っている。
 

かど のぶゆき、 JICAシニア海外ボランティア ・ モンゴル航空局アドバイザー 

                        
         
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