一般財団法人 日本航空協会

航空史黎明期写真アルバム――佐貫亦男コレクション

291/316枚目
画像ファイル名:SA-001_extra-03_back-01.jpg

【オリジナルキャプション】
1940年5月4日 朝日新聞
(大見出し)乃木大将も飛行将校を激励
(小見出し)三十一年前に初めて飛ぶ
(書き出し)代々木練兵場に航空記念碑
(日付)●年五月四日(日曜日)›1940年だと思われる


1940(昭和16)年5月4日(日)の朝日新聞の記事。
朝日新聞と大日本飛行協会(現日本航空協会)とが協同で、初飛行の地である東京の代々木練兵場に航空記念碑を建てる予定であること等が書かれている。

(大見出し)乃木大将も飛行将校を激励
(小見出し)三十一年前に初めて飛ぶ
(以下本文)
代々木練兵場に航空記念碑
「陸の荒鷲、海の荒鷲のめざましい活躍が、世界を轟かせていますが、わが国で、初めて飛行機が空をとんでから三十一年。朝日新聞では、大日本飛行協会と協同で、初めて飛行機のとんだ東京の代々木練兵場に航空記念碑を建てます。記念碑は、一羽の巨鳥が、するどい眼で、はるかに水平線をにらんで、飛びあがらんとするもので、この秋までに練兵場にでき上ります。わが陸軍で、最初に使われた空の兵器は、そのころ、風船といった気球で、明治三十六年の特別大演習に利用され、日露戦争にも役立ちました。
やがて、ヨーロッパ、アメリカで飛行機が研究されるとすぐ、わが国でも研究をはじめ、明治四十二年にフランスから二台の飛行機を買ってきて飛行術を研究し、また日野熊蔵、奈良原繁【注1】氏が苦心して国産を製作しました。そして、その年の十二月十五日から十九日まで代々木練兵場で公式飛揚、今からいえば公開飛行が行われ、毎日、十万近くの人が見物に出かけましたが、乃木大将、奥大将なども熱心に飛行将校を励ましました。何度も、何度も失敗しましたが、十九日に、ついに日野熊蔵大尉、徳川好敏大尉が成功しました。徳川大尉はアンマリー・ファルマン式複葉機(グーノム五十馬力)【注2】の飛行機で飛行時間四分、地上滑走三十メートル、空中駛走距離三千二百八十メートルを飛び、日野大尉はグラーデ式二十四馬力単葉機で飛行時間一分二十秒空中駛走距離一千二百メートルを飛びました。「空を飛んだ」というので、群衆は万歳を叫んで大よろこび、新聞は号外を発行する騒ぎでした。それから三十年 今の、荒鷲の素晴らしい活躍とくらべると、ウソのような話ですが、この成功により飛行隊もできたのです。【寫眞初めて飛んだ徳川機 絵はその機】

注1:奈良原三次が正しい。奈良原繁は三次の父。
注2:アンリ・ファルマン式複葉機が正しい





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