| 航空史黎明期写真アルバム――佐貫亦男コレクション |

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312/316枚目 画像ファイル名:SA-001_extra-21-01.jpg 【オリジナルキャプション】 洲崎小栗飛行場ニテロー女史一行ノ 曲乗団 上図ハ小栗ノ飛行機 下ロー一行ノモノ 同種ニテ上ヨリ 梯子ヲ下シテ乗リ移リ又翼端ニ立チ 手ヲ擴ゲ●曲乗ヲ為セリ サルムソン機 (航空協会注:服装や天候から判断して、ロー夫人のでも飛行とは別の日時の撮影と判断されるので、添え書きは書き手の記憶違いだと思われる。「下ロー一行ノ…」という言葉から考えると、もともとのページ順では「挟み込み 19 ページ」と連続していた可能性がある) 小栗飛行学校の小栗カーチス式ジェニー。1920(大正11)年頃、東京 洲崎。 愛知県出身の小栗常太郎は1917(大正6)年アメリカのカーチス飛行学校を卒業し、キーン飛行学校の教師となった。1918(大正7)年には発動機、プロペラ、主要部品、図面を持ち帰国。1919(大正8)年、赤羽飛行機製作所(岸飛行場)に依頼していた、小栗式ジェニーが完成。東京・洲崎で宙返りの他高等飛行を実演した。1920(大正10)年洲崎に「小栗飛行学校」を開設。東京~静岡間の野外飛行や各地で遊覧飛行を試みた。後に洲崎の他に名古屋にも分校を作り、名称を「日本航空学校」とするが、1920(大正13)年関東大震災での損害を受け学校は閉鎖された。 1920(大正11)年4月アメリカのバート・バー飛行サーカス団が洲崎飛行場で公開飛行を開催した際場所を提供しており、写真はその際のものかもしれないが、この興行は開催時間に遅れる、ふれこみより見劣りするなどで失敗に終わっている。 参考 平木国夫,1980,『日本ヒコーキ物語』北陸信越篇,冬樹社.国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12064053 (参照 2025-04-28) |
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