一般財団法人 日本航空協会

航空史黎明期写真アルバム――佐貫亦男コレクション

235/316枚目
画像ファイル名:SA-001_p.41-03.jpg

【オリジナルキャプション】
中島知久平大少佐


中島知久平。撮影地、年未詳。
中島知久平は、1912年にアメリカに派遣され、飛行術・機体整備を学び、1914(大正3)年にはフランスに出張し、飛行機の製作技術を会得するも、1917(大正6)年12月2日付けで、かねてより願っていた予備役に編入(事実上の海軍退役)された。軍人として職務を全うするなかで、日本の航空の将来のため、航空機は国産にすべきこと、それは民間製作でなければ不可能という結論を得たためだという思いを「退職の辞」に印刷して先輩、同僚、関係者に配っている。その後、群馬県太田市に飛行機研究所改称中島飛行機(後の富士産業→富士重工業→SUBARU)の創始者として、また政界においても鉄道大臣などを歴任した。


参考
日本航空協会,1956,『日本航空史 明治・大正編』航空遺産継承基金アーカイブ:p.336

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