ボーイング 対 エアバス

 ボーイング対エアバスの競り合いは、航空に関心を持つものにとって、横綱同士の力闘にたとえられるかもしれない。折から国技館では近年、横綱相撲が見られなくなった。西の横綱が欠けているためだが、その寂しさを埋めて余りあるのが両巨大メーカーの取組みである。

 これを名勝負と云っていいかどうかはともかく、両社の競争の中からエアバスA380やボーイング787が生まれたことは確かであろう。競争がなければ、果たしてここまで先端的な技術が磨かれ、コストの安い優れた航空機が実現したかどうか。

 さらに787に対してはA350という新しい計画も実現しつつあり、最近はA380に対抗するための747発達型や787ストレッチ型なども具体化しようとしている。

 横綱同士の取組みは、次々と新たな名勝負を生んでゆくかのようだ。

 これを名勝負と云っていいかどうかはともかく、両社の競争の中からエアバスA380やボーイング787が生まれたことは確かであろう。競争がなければ、果たしてここまで先端的な技術が磨かれ、コストの安い優れた航空機が実現したかどうか。

 さらに787に対してはA350という新しい計画も実現しつつあり、最近はA380に対抗するための747発達型や787ストレッチ型なども具体化しようとしている。

 横綱同士の取組みは、次々と新たな名勝負を生んでゆくかのようだ。

挑戦を受けるボーイング

 ボーイングは歴史が古いだけに、昔からさまざまな挑戦を受けてきた。話題をジェット旅客機にしぼるならば、表1( エアバス登場前のジェット旅客機 初飛行日 )のとおりボーイング707対ダグラスDC-8が最初の対戦であろう。 

 707は1954年、米空軍の空中給油機をめざして367-80(ダッシュ・エイティ)の名前で初飛行、KC-135ストラトタンカーとなった。のちに民間機への転用が認められ、改めて1957年707-120として飛行する。パンアメリカン航空の大西洋線に就航したのは、翌58年10月26日であった。

 これに対して、ダグラス社がDC-8の開発を発表したのは、ダッシュ80の初飛行から1年後、1955年夏である。ボーイング社に先を越されたものの、主翼の後退角は707より少なく、操縦がしやすいという主張で、パンナムも両者を慎重に比較した。

 結局パンナムには採用されなかったが、その対抗馬というべきユナイテッド航空が1959年秋から定期運航を開始した。わが国でも日本航空が採用し、1960年8月12日ホノルル経由サンフランシスコ行きの1番機が羽田空港を飛び立っている。

 この勝負は、製造機数でいうならば、707が派生型のB720や軍用C-135/137を含めて1,010機、DC-8が長胴型の-60シリーズを含めて556機だったことから、707に軍配を挙げてもいいだろう。

 その後、ボーイング機は727と737を経て747へ進む。この巨人機の初飛行は1969年、就航は早くも翌年1月パンナムのニューヨーク~ロンドン線で実現した。同機は単に大きいばかりでなく、2本の通路をもつワイドボディのキャビンがいかにも広々として快適であった。

 このワイドボディ機を追ったのがDC-8からDC-9を経てきたDC-10である。747よりは小さいが、3発のワイドボディ機で経済的でもあり、国内線に適するとされた。初飛行は1970年8月だが、その3ヶ月後に同じ狙いをもつロッキードL-1011トライスターも飛んだ。

 こうしたアメリカ同士の競争に対し、ヨーロッパから挑戦を試みたのがエアバス・インダストリーである。英、独、仏を代表する航空機メーカーの共同事業体コンソシアムとして発足したのは1970年、アメリカのワイドボディ機が出そろった年であった。

乾坤一擲の大勝負

 ボーイングに対するエアバスの挑戦は、表2( ボーイング対エアバス初飛行日 )のとおりである。しかし当然のことながら、初めのうちは横綱に対する幕下のようなものであった。最初の量産機A300Bが初飛行したのは1972年、実用になったのは74年だが、土俵に上がっても負けるばかりで、いっこうに売れなかった。

 初めて就航したのはエールフランスの定期路線で1974年。76年にはルフトハンザ・ドイツ航空に就航した。しかし、実用になってから78年までの5年間に売れたのは、わずかに38機。南仏トゥールーズ工場の外には16機のA300が売れ残ったまま風雨にさらされていた。

 特に、大きな目標だったアメリカからの注文がない。そこでエアバスは思い切った勝負に出た。1977年4機のA300Bを米イースタン航空に半年間、無償でリースしたのである。これには当時の航空界も驚いたが、イースタンが使ってみると、燃料消費がトライスターなどの3割減。整備作業にも手間がかからないことが実証された。これならばというので1978年、23機の購入に同意したのである。

 アメリカの主要エアラインが大量に買ったことで、エアバス機は初めて多くの航空会社から注目されるようになった。これでヨーロッパ製の機材がアメリカ市場へ進出する突破口が開いた。そしてわずかな間に、エアライン10社以上から100機を超える注文が舞い込み、年間生産数も3ケタに上がる。

 以後、A300は胴体を延ばし座席数を増やしたA330や、長航続性能をもたせた4発型A340へ発展した。エアバス社のめざしたのはアメリカ勢に対抗することだった。特に1960~70年代に急成長を遂げつつあった民間航空市場で、ボーイング社の独占を阻止することである。のちにスペインも参加して4ヵ国が一つにまとまり、エアバスの立場はいっそう強化された。

相反する市場の見方

 しかしボーイングも黙ってはいない。エアバス社が4発でくるなら、逆に双発で反撃しようというので80年代初めに767を開発、90年代になって777を完成させた。

 それならばというのでエアバス側は、今度は胴体を普通幅に戻したA320シリーズを繰り出し、ボーイングのベストセラー機737の領域に攻め込んだ。80年代後半のことである。737にくらべて、わずかながらキャビン幅が広く、したがって座席の幅が広い。コクピットにもサイドスティックとフライ・バイ・ワイヤ操縦システムなど、最新の技術を採り入れ、就航8年にして1,000機を超える注文を獲得した。

 このA320(134席)を、ルフトハンザ航空は1989年秋から運航しはじめたが、それまで使っていた727にくらべて、1席あたりの燃料は40%減となった。またエンジンの排気ガスも炭化水素は90%減、一酸化炭素は73%減であった。

 ボーイングの方も737の改良に拍車をかけ、1997年には次世代をめざす737NG(Next Generation)が登場した。こうして両者の競り合いは、互いに相手の出方を見ながら次々と手を打ってゆくという接戦となった。

 ボーイングとエアバスが火花を散らす中で、一時、休戦のような状態も見られた。それは将来の超巨人旅客機(500~1,000席)をどうするかという問題である。単独で開発するには余りにリスクが大きく、2種類のスーパージャンボが実現すれば共倒れになる恐れもあることから、両社共同の市場調査と開発研究がおこなわれたのである。

 しかし実機の開発や市場の見方で双方相容れず、協議は決裂に至る。結局エアバス社だけが単独で欧州4カ国の後ろ盾を得ながら、A3XXの開発に踏み切った。1994年のことだが、のちに2000年、A380(標準555席、最大880席)として本格的な開発に入る。

 その基本的な考え方は、将来なお定期航空路線のハブ・アンド・スポーク・システムは変わらない。したがってハブとハブとの間を結ぶための超大型機が必要で、需要としては1,000機を超えるというものだった。

超巨人機と中型長距離機

 エアバスの見方に対して、ボーイングは、もはやハブ・アンド・スポーク・システムは時代遅れになりつつある。将来は世界各地を個別に結ぶ高速長距離機こそ必要という見方を取った。そこから747を大型化する747Xといった計画を取りやめ、マッハ0.98の遷音速で16,000km以上の飛行が可能な「ソニック・クルーザー」などの構想が出てきた。

 その未来を先取りしたような形状は人びとの注目を集めたが、速度の割にはコストが高いせいか、エアラインからの注文が得られず、今度は逆に経済性を強調した7E7の計画に移る。2003年初めのことであった。これが787と改称され、2004年4月全日空が初の顧客として50機を発注、続いて日本航空も30機の購入を決め、本格的な開発に入ったことはご承知のとおりである。

 これで一方は超巨人機、一方は中型長距離機ということになり、双方別々の道を歩むかと思われた。ところが、今度はエアバス社がA350をもって787との決闘を申し入れてくる。2004年9月のことで、A380の開発から得られた技術を採り入れ、機体を複合材製として重量を減らし、787を凌駕する航続性能を持たせるという対決姿勢。しかもエンジンは、GEやロールスロイスが787向けに開発中だったものを流用し、わずかに改めるだけでA350に取りつける。現に787用のRRトレント1000などは、実質的な改修なしでA350に使えるというから、ボーイングとしては地団太踏む思いであったろう。

 無論このまま黙っているわけにはいかない。ボーイングの方もA380に一矢を報いんものと、いま改めて747発達型の研究を進めつつある。同機は乗客400~500人乗り。787と同じGEnxやRRトレント1000エンジンを使って燃料効率を高め、主翼を再設計して軽量複合材を採用、航続距離を14,800kmまで伸ばす。速度はマッハ0.86で、A380のマッハ0.85よりも速いというものである。

激化する受注合戦

 ここで目を転じて、エアバスとボーイングの受注競争を見てみよう。

 長年にわたるボーイング優位の形勢が初めて崩れたのは1999年であった。エアバスの年間受注数がボーイングを上回ったのである。翌2000年はいったんボーイングが優勢を取り戻したものの、再び2001年から2004年までエアバス機の受注数がボーイングを上回った。

 やがて2003年には、製造機数もボーイングを抜いた。昨2004年の実績は受注数でエアバス370機、ボーイング277機。引渡し数はエアバス320機、ボーイング285機と、いずれもエアバス社がボーイング社を突き離した。

 それだけに、ボーイングも必死の巻き返しをはかり、2005年6月なかばのパリ航空ショーを舞台として熾烈な受注合戦が繰り広げられた。結果は確定発注、仮発注、発注意向表明などが入り混じって、正確な数字ははっきりしないが、メーカーの発表やいくつかの報道を鵜呑みにすれば、エアバス279機、ボーイング148機ということになる。

 もっとも、ショーの間に沢山の注文を取ったからといって、勝負が決まるわけではない。実際の正式契約はこれからだからである。 また、これらの数字が必ずしも1週間のショーの間にまとまったわけではない。ほとんどは、それ以前に決まっていたものを、広報宣伝をかねてショーの晴舞台で公表したものが多いはず。したがって、たとえばエアバスの新しい計画A350はパリで100機以上の注文を受けたといい、ボーイング787は1機の注文もなかったとされたが、ショー以前に787は246機の受注を発表していた。

 というのも、少し前の4月27日にエアバスA380が初飛行して華々しく報道されたため、ボーイングの方はそれに対抗して787を初めとする受注発表を次々と繰り出した。パリ・ショーの時点では弾を撃ち尽くしていたのではないかと思われるほどだった。

 無論こうした広報合戦は双方計算ずみのことで、結果としてはショーが終わった時点で今年初めからの受注総数はエアバス413機、ボーイング592機と、ボーイングの方が多い。これから年末に向かって、最終的な勝負もボーイングの勝ちに終わるのではないかという見方が強い。そうなれば5年ぶりにボーイングがトップの座を奪還することになる。

 また両社合わせた年間受注数は1,200機になると見られているが、これは1998年以来の最多記録となる。

中国市場でも対立

 ボーイングの受注数の伸びを見て、エアバスは「われわれは過去4年間、ボーイングをリードしてきた。このあたりで一と息入れる時期かもしれない」と冷静を装う。「それに数年前、ボーイングが受注数で負けたとき何と言ったか。問題は受注数ではなくて、直接収入に結びつく引渡し数だと言ったではないか」

 その引渡し数は依然エアバスの方が多く、2005年の当初計画で370機である。対するボーイングは320機だが、9月になってほぼ1ヶ月間に及ぶストライキが起こった。およそ19,000人の従業員が29日間にわたってシアトルその他の職場を離れ、1機の引渡しもできなかった。そのためボーイング機は、年末までに計画比30機前後の減少になるおそれも出ている。

 なお、両メーカーともエアライン業界の回復に伴って今年の受注数が増えたことから、来年の生産量を増やすことにしている。エアバス社は、2006年は400機以上の製造を予定し、07年はもっと増やす考えである。ボーイングは2006年は390機、2007年はさらに多くするとしている。

 将来に向かっては、中国市場をめぐる競争も激化するであろう。ボーイング社の予測では、中国の旅客機需要は向こう20年間で2,600機以上になるという。その大部分は737クラスの単通路機で、1,678機。次いで568機が2通路の中型機で、これには787や777が含まれる。ほかにリージョナルジェットが293機、400席以上の大型機が73機となっている。

 しかし、こうしたボーイング社の予測は、今年初めに公表されたエアバス社の見方とは大きく異なる。エアバス社によれば、2023年までに中国で売れる航空機は400席以上の大型機が200機、350~400席クラスが280機、250~300席機が440機、そして100席以上の単通路機が870機というもの。合わせて1,790機である。つまり、機体が大きくて、機数は少ないのがエアバスの見方である。

 ボーイング社によれば、中国の経済成長率は、世界の他の地域よりも大きく、今後20年のうちに中国は米国に次いで世界で2番目の航空機市場になるだろうと見る。

 しかし、中国との関係は、これまでのところエアバスの方が先行している。中国のメーカーとの間に合弁会社をつくり、A350の開発についても中国が5%のリスク負担で参画することになっている。

日本の戦略は如何に

 エアバス社のこうした中国戦略は、中国と組むことによって、ボーイングが日本の支援を受けつつ787の開発を進めているのに対抗しようとするかのように見える。つまり米・日連合軍対欧・中連合軍の闘いに発展してきたのである。しかも欧・中連合軍にはロシアやインドも参加する姿勢を見せている。とすればボーイング対エアバスの競争はアメリカ対ヨーロッパの闘いに発展し、今や航空界の世界大戦に拡大する可能性も出てきた。

 もっとも日本の航空界のリーダーたちが、そんな風に意識しているかどうかは知らない。しかし自ら意識しなくとも、現今のように官・産あげてのボーイング寄りの姿勢を見れば、誰もがそう取るであろう。

 その背景には、補助金をめぐるボーイング対エアバスの論争がある。今年5月末のことアメリカ側が、欧州政府によるエアバス機の開発支援は不公正であるとしてWTO(世界貿易機関)に訴訟を起こした。具体的には、各国政府がエアバス社に融資保証を与え、新機種開発のリスク回避を助けているというのである。

 それに対して翌日、欧州側もアメリカは連邦政府と州政府が直接、間接にさまざまな形でボーイングを支援していると反訴した。

 アメリカ側の言い分は、エアバス社は過去35年間に170億ドルの政府支援を受けているというもの。対するヨーロッパ側は、ボーイングが過去13年間に230億ドルの援助を受けたと非難している。

 この論議はボーイング787の開発に約3分の1の負担で参加している日本にも関連する。日本側の費用負担に政府が間接的に支援しているためで、日本も非難の対象となり、否応なしに欧米の闘いに巻き込まれてしまっているのである。

 むろん闘いが悪いというわけではない。むしろ技術的、経済的に好ましい結果を出してゆくことにもなるであろう。ただ、そのような事態を無意識のうちに招来するのではなく、日本として意識的、積極的に戦略を立てた上で、将来を見通しながら、ことを運ぶ必要があるのではないだろうか。

A350と747ADVも開発へ

 最後にもう一度、エアバスとボーイングの最近の機材開発の状況を見ておこう。

 A380は上述のように今年4月27日に初飛行、100時間ほど飛んだだけでパリ航空ショーに出場した。しかし問題がないわけではない。機体重量と飛行性能が必ずしも設計通りにゆかず、開発作業も苦しい状態にある。これを、ボーイングは「太り過ぎて筋力がなくなった」と評しているが、そのシェイプアップのために引渡し開始の時期も半年延期され、2007年にずれこみつつある。

 それに最近までの受注数は159機だが、本来の見込み通り今後20年間に700~1,000機という注文が獲得できるかどうかが大きな課題である。

 新しいA350は、間もなく開発着手の正式決定が出るもよう。パリ航空ショーの期間、同機は中東カタール航空の60機を初め、予約注文が100機を超えた。これで「A350が多くの顧客に受け入れられたことは確かだ。成功は間違いない」と、エアバス社は胸を張る。最近までの予約は125機と見られる。

 対するボーイング787は、受注数がすでに266機に達し、A350の2倍以上となった。

 次に、ボーイング747ADV発達型は、機体全長が747-400より3.55m長い。主要構造はほぼ同じだが、新しい金属材料や複合材を使うことで重量を軽減する。また787向けに開発されたエンジンを採用、主翼先端の後退角を777-300ER同様に深くして、巡航性能を高める。

 座席数は標準配置で450席。747-400の415席に対して1割ほど多く、最大500席くらいまで可能。シートマイル当たりの燃費はA380よりも12%少ない。したがってシートマイル・コストも安い。これで巨人機としては最も高い経済性を持つというのがボーイング社の計算である。
 これを貨物機にする場合は、胴体をさらに延ばして747-400より5.25m長くなり、130トンの貨物を積んで8,260kmを飛ぶ。

 こうした747ADVについて、ルクセンブルクのカーゴルクスは貨物機として10機を発注する意向を示している。さらに中華航空、日本航空、全日空、シンガポール航空が関心を寄せており、同機の開発が決まれば発注に踏み切る可能性が高い。

 こうして発達型747ADVは間もなく本格的な開発がはじまり、2009年の就航をめざすものと見られる。

好敵手の存在が進歩を促す

 ボーイングとの競争について、エアバス社は言う。「われわれはボーイングに打ち勝つことをめざして事業を展開してきた。けれどもひとり勝ちの覇権をめざしているわけではない。何故なら顧客がそれを望んでいないからだ。健全かつ公正な競争があってこそ、顧客もまた望ましい機材を手に入れることができる」と。

 つまり一方に片寄ることなく、互角の競争が続くことから優れた航空機が生まれるという考え方である。

 4ヶ国以上の国々が一致協力してエアバスという企業を運営できるのも、一方で競争という要素があるからだろう。かつては互いに戦争を繰り返してきた欧州諸国の中で、いまや欧州連合の模範例といわれるほどの企業になり得たのも、眼前にボーイングという競争相手がいたからにちがいない。

 当初は航空機の設計と販売のためのフランスとドイツの資本連合に過ぎなかった。それがイギリスとスペインをまじえた企業として融合し、最近はイタリアも重要な協力国となっている。
 こうした結束がなく、エアバスの存在がなければ、航空市場はアメリカに独占され、今ごろ世界のエアラインは4割は高い航空機を買わされていたはず。乗客もそれだけ高い運賃を払わされていたに違いないという見方もある。 

 しかし、両者の緊張感みなぎる競争が続くならば、そこからさらに優れた技術が磨かれ、航空の進歩がもたらされるのではないだろうか。両横綱の気迫と意欲あふれる名勝負に期待したい。

執筆

西川 渉

航空ジャーナリスト・日本航空協会評議員

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