機械と付き合うための人間の覚悟
-ヒューマンファクターを考える(3)-

  約200万年前と考えられているが、人間が立ち上がり、二足歩行を始めるとともに、手が自由となった。暇になった手で器用に色々な仕事が出来るようになり、頭脳が急速に発達した。ライオンが牙を持ち、牛が角を持つのに比較して、本来、人間は防御武器を持たないか弱い動物で、知恵だけが最大の武器である。そこで石器時代のご先祖は道具を作って身を守ると同時に、食べ物を栽培したり、捕まえたりすることを発明する。



  紀元前1600年には二輪の馬車を使用しており、移動範囲は広がる。同じ頃、青銅器や鉄器が作られ始め、これが「第一次産業革命」である。

 約200年前の「第二次産業革命」の頃から、どうも人類の発想が変わってきたようである。「もの作り」をする人が、「もの」を作ること自体が面白く、お金も儲かるので、欲望と二人連れでのめりこんでしまう。人間が使えるかどうかなどをつい忘れて、新開発、大量生産へと独走し始める。社会も科学技術の偉大なる進歩ともてはやす。

 その好例は飛行機開発である。特殊な能力を持っていないと操縦出来ない、複雑怪奇な機械系を創ってしまい、厳しい適正検査、身体検査などで使ってもらえる人間だけを選んで仕事を押し付けておきながら、先進的、高度の機械システムなのに、なぜ事故はヒューマンエラーによって発生するのだろうかと嘆く。

 人間が失敗しても事故に進展しないようにしようと改心し始めたのは、やっと30年前くらいからである。それには幼いながらも人間のお手伝いが出来るコンピュターが発達してきたからである。

 前回は人間機能の素晴らしさを述べたが、片手落ちにならないように、マシン・ファクターの素晴らしさも述べておかなくてはなるまい。

 機械が人間よりも優れているのは、まず制御信号に対する反応が素早く、しかも巨大な力をスムーズに、正確に、休みなく動かすことが出来、同時に複数の複雑な作業が出来ることである。350トンもの巨大機を楽々と操り、掘削機械がトンネルを掘り進み、ロボットが夏休みもとらずに黙々と働き続けている。同時に複数の作業が出来るのは千手観音と聖徳太子だけであるが機械はそれが出来る。

 次は短時間の正確な記憶保持と、逆にその記憶の完全な消去である。人間はド忘れが起きるが、機械は正確に覚えていて、一字間違っても受け付けてくれない。しかし、一旦消去されると、不人情にも絶対に思い出してくれない。人間だったら「昔、そんなことがあったよな」と微かに記憶に残しておいてくれる。

 屁理屈に基づく論理回路をプログラムしておくと、それに従って馬鹿正直に素早く計算してくれるが、人の新しい願いを頑として聞いてくれない点において、お役所の窓口に似ている。

 ベトナム戦争のころ、米陸軍が最先端の技術者の頭脳を結集して、万能、無敵のヘリコプターを開発した。最後に、自分たちの開発した機材を使いこなすためのパイロット特性をまとめて、次のようなパイロット募集広告を出したそうである。「理科系大学の博士課程を卒業し得る学力を持ち、オリンピック・チャンピオンになれる体力を持つ、自殺志願の18才の男性」。

執筆

黒 田  勲

日本ヒューマンファクター研究所 所長

冊子版「航空と文化」2001年秋季号より転載

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