安全文化とは何か
-ヒューマンファクターを考える(7)-
航空安全
最近は、かつて日本では見られなかったような異常で、不愉快な事件や不祥事が続いて、暗い気持ちになっている。
狂牛病の対策として国の買い上げ制度に便乗した偽装事件が報道されている。雪印食品が問題となったのは今年の1月である。偽装表示による政府買い上げで得られた金額は1億9600万円であった。偽装表示発覚のため、創立後57年、年商900億円、従業員960人、パート1,000人の会社は、3ヵ月後に解散し、全員が失職した。この事件を知っているはずの日本ハムおよび子会社の日本フードが同じような偽装、証拠隠滅の疑いで捜査が行われている。
人間の命の尊さを最もよく知っているはずの医療分野でも、患者の取り違えによる手術の実施、手術時の装置取り扱いミスによる患者死亡事故とカルテの改ざんなどの医療事故が多発している。
安全に最も勢力的に取り組んでいるはずの原子力分野でも、「もんじゅ」のナトリウム漏れ、同じ組織の核燃料再処理工場の爆発事故、さらに住宅地に所在する核燃料工場JCOでの臨界事故による2名の放射能被爆死亡事故と多数の住民の避難が行われている。
大手銀行の統合によって発足した巨大銀行のコンピュタートラブルによる預貯金業務の大混乱が発生した。原因は合併に伴う相互の権力関係の不協和と、管理機能の不具合に起因していると言われている。情報化社会の未来の不安を示唆するような事件であると言えよう。
食品工業の不祥事故は、EU委員会の警告を無視し続けていた行政、慌てた回収制度の設定、BSE騒動で売れなくなった輸入牛肉の在庫を、いかに会社の損失を少なくして減らそうかとの現場の懸命な近視眼的忠実性によって発生している。ここには行政、会社があるが、消費者は存在しない。医療過誤の背景には医療システムの前近代性と権威主義による強固な階層性があるが、患者はいつの間にか蚊帳の外に置かれている。
これらの事故は、一見関連性がないように見えるかもしれないが、良きにつけ、悪しきにつけ、人間社会の変化は、所詮人間の営為によって創り上げられているからには、背後の社会に対するその企業の安全、倫理の価値観、言い換えれば安全文化の劣化という共通点が見えてくる。
航空分野においては、戦後、十年近い航空空白期間による技量の遅れもあって、多くの悲惨な航空事故を経験してきた。航空関係者の真摯な努力と研鑽によって、民間でも自衛隊でも、やっと落ちづいた航空安全状態が創り上げられてきている。
安全文化は創り上げるためには大変な努力と時間が必要であるが、創り上げられた安全文化が崩壊するのは一瞬の人間判断であることは最近の事故、不祥事で示してくれている。
最近発生した日本での民間旅客機同士のニアミスの背景と、ヨーロッパで全く同じ状態がついに悲惨な空中衝突事故になってしまった共通点に安全文化の綻びの兆候が見えてくるような気がしてならない。