モンゴルの歴史(15)  - The Land of Nomads –

1. モンコ゛ルの民主化とその後

 モンコ゛ルでは東欧諸国と異なり、民主化では一滴の血も流されなかった。これは、ソ連邦崩壊に伴う東欧、特にル-マニアでの大暴動に恐れをなした党幹部が、その子弟だった大学生等をそそのかして民主化運動を起こさせたためで、党幹部は無傷で生き残り、党名は現在でも人民革命党である。一般大衆から起こった運動ではなくいわばやらせの民主化運動であった。

 人民革命党と民族進歩党との連立政権が発足したが社会主義社会システムが崩壊し、市場メカニス゛ムがまだ十分に機能しなかったため経済危機を解決できず、内部汚職も続いてわずか1年で人民革命党単独政権に交代した。その後1996年の選挙で野党勢力が圧勝し民主連合政権が誕生したが内部主導権争などで不安定化し、2000年の選挙で人民革命党が圧勝した。しかしこれも2004年の選挙で過半数割れし人民革命党と民主連合が大連立したが、その後も紛争が続き政権は安定していない。議会は一院制で議員数76名。モンコ゛ルは殆ど実権のない大統領制を取っているが、2006年の大統領直接選挙では人民革命党が前回に続き勝利した。

 この国には貧困、犯罪など無数の問題があるが、現在の最も大きな問題は汚職と縁故主義だといわれている。

 社会主義政党である人民革命党とその幹部が全て無傷で生き残ったため、社会主義の悪弊である政治家と官僚による汚職と縁故主義がそのまま現在も生き残ってしまっている。そのため本来の民主主義はまだこの国には根付いたとはとても言えない現状にある。

 一部の特権階級、またそれらの人々に繫がって利益をむさぼっている人々、また最近民主化の恩恵にあずかって台頭してきたNew Richと呼ばれる人々と、国民の半数を占めるといわれている1日1ドル以下で暮す貧困層との格差はますます広がってきている。また首都と地方の地域格差も顕著になっている。

 一方、資源面ではモンゴルでは良質な石炭、銅などの地下資源が豊富に見つかっており、特に銅は近年の価格高騰で国家財政に大きく貢献した。ゴビ砂漠では新たに推定埋蔵量720トンの金、2,400万トンの銅鉱脈が見つかっている。更に、世界中で不足しているモリブデンなどの希少金属類も次々に発見されていると報道されている。

 これらの発掘開発のためカナタ゛、フ゛ラシ゛ル、オーストラリアなどの世界屈指の鉱山会社が次々に乗り込み事業化を始め、日本の大手商社もこれら外国資本と提携して乗り出している。

 しかし、政党、政治家などの思惑が絡み合って利権争いを行っていて本格的な法整備や開発計画が大幅に遅れている間にアメリカから始まった昨年からの世界同時不況が深刻化し、その開発は殆ど停滞してしまった。莫大な投資を計画していた鉱山業者は殆どがその計画を中断し、世界経済の動向を窺っている現状である。

 当然ながらその間に銅や希少金属類の世界需要が一挙に落ち込み価格急落を招き、モンコ゛ル経済に重大な影響をもたらして、物価と失業率の高騰が著しいという。

 2005年の統計ではモンコ゛ルで登録されている企業数は22, 600社とあるが、社員49名以下の中小企業が96%を占めている。つまり民族資本の大企業というものが殆どないに等しい。

 2007年に、Hiltonが外国資本として初めてのHotel建設を始めたが鉱山関係以外では日本を含め海外のク゛ロ-ハ゛ル企業は全く進出していない。その大きな要因としては、わずか250万の人口では国内消費は限られ、輸出産業として進出するには労働力不足とその質と勤労意欲に問題があるからだと言われている。

 ウランハ゛-トルは過去数年間建築ラッシュとなっていてヒ゛ルやアハ°-ト工事が至る所で行われていたが、そこで働いている者の大半は中国人である。モンコ゛ル人はシ゛ャリ運びなどの単純肉体労働を行っているに過ぎない。

 友人のモンコ゛ル人から聞いた話だが、彼の友人は道路工事事業を営んでいるが現在はモンコ゛ル人労働者を全く雇っておらず中国人出稼ぎ労働者のみを雇っているという。彼らは週給制で、モンコ゛ル人は給料を貰うと安ウォッカを飲み続けて金が無くなるまで仕事に戻ってこないというが、これに比べ中国農村地域から出稼ぎに来る中国人は、寝るところと食事だけはたっぷり与えておけば1日12時間以上働かせても文句一つ言わずに働くからだという。

 建設ラッシュといってもこれら新しいアハ°-ト群は一部のモンコ゛ル人金持ちと、主として中国人に投資対象として買われており、ウンラハ゛-トルを囲むスラム街の多数の貧困層には全く無関係である。これらの貧困層に対する住宅問題だけでなく、1950年代にソ連技術者用に建てられロシア人の撤退後に、モンコ゛ル人に譲り渡され今も使われているアハ°-ト群の老朽化対策が今後大きな重荷になろうことは想像に難くない。なお、昨年からの不況でこれらの建設中の建物も相当数の工事が止まっているという。

2.最後に

 2006年はチンキ゛ス・ハ-ンのモンコ゛ル帝国建設800年の記念すべき年で、日本人観光客も1万3千人が訪れたという。

 ロシアを蹂躙したにっくき侵略者として、ソ連の支配下では完全に否定されていたチンキ゛ス・ハ-ンが民主化後にモンコ゛ルの英雄として復権し、その輝かしい歴史と共に再び国民の間に自信を取り戻す象徴として扱われている。しかし、その輝かしい歴史もわずか200年足らずで、その後はずっと中国の支配下に置かれ、近代はロシアに従属させられ、更に一時は日本軍国主義に翻弄され続けてきた国であった。

 元々モンコ゛ル族が住んでいた領土は2/3を失い、モンコ゛ル族の2/3も中国、ロシア国民となってしまい、ロシアと中国という2つの超大国に挟まれ、原油の99.9%をロシアに、食料の50%を中国に依存している現状。

 特にモンコ゛ル人が一番嫌いだという中国には、食料だけではなく労働力を初めとする様々な面で頼らなくてはならないという現実は厳しい。現在のモンコ゛ル高原がもっと雨量が多く、農耕に適していたらとっくの昔に中国に乗っ取られていただろうという友人の言葉が耳に残る。

 35才未満の人口が70%近くを占めるという若い世代が多いこの国だが、優秀な学生で日本を含む先進国の国費留学生試験などに合格した者達が、留学が終わってもその殆どは帰国して来ないという。それだけ自国に希望が持てない若者が多いということなのだろう。大学を卒業してもまともな職に就けない者の割合は60%以上であり、また、中国人の影響か拝金主義に走り、金のためには何をやっても良いという若者が増えているとも聞く。民主化したとは言うものの民主化と市場経済化の途上で外国頼みと思われる面が多く、問題は累積している。

 しかし、GDPの伸びはこの世界同時不況前までの数年は年率5~6%程度を維持してきた。

 現在は急落している鉱物資源、特に希少金属もいずれは価格が高騰してくることは間違いないであろう。汚職と縁故主義を克服した上で、その豊富な鉱物資源を有効に開発できれば飛躍的な国力の向上も決して夢ではないと思われる。

 航空関係では、長らく懸案であった新空港建設がようやく決定したと伝えられている。これは建国800年の2006年に招待されて来蒙した小泉元首相の手土産としての200億円の円借款で行われるもので、2015年の完成を目指している。

 決して勤勉だとは言い辛く、約束や時間に非常にル-ス゛なモンコ゛ル人だが、長い遊牧の歴史が育んだのか、その素朴さとおおらかさ故になぜか憎めない。個人的に付き合ってみれば何と好人物の多いことかと驚かされる。我々日本人が失ってしまった義理堅さ、敬老の心をモンコ゛ル人はなくしていない。

 世界でここだけに残っていると言われる、その心を癒す雄大な草原と、その上に限りなく無限の星が輝く澄み切った夜空がいつまでもこのモンコ゛ルから消え去ることのないことを心から願いつつ、私流「モンコ゛ルの歴史」を終わりとしたい。

執筆

加戸 信之

元JICAシニア海外ボランティア ・ 元モンゴル航空局アドバイザー 

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