歴史にみる模型飛行機の顔さまざま(4)
国際競技種目(1928~)

1. はじめに

 その活動がメジャーなものであるかどうか判断する場合、「国際性」は重要です。1908年頃からイギリスで模型飛行機ブームが起こって、競技会には大勢の参加者が集まりました(第2回「英国紳士の遊び」参照)。そのときに、大陸からのビジターが居たかも知れませんが、競技会そのものが国際競技として行なわれたのではないと思います。

 名実ともに模型飛行機の「国際競技」の始まりとなったものは、1928年にサー・チャールス・ウエークフィールド寄贈の銀杯を基にしてSMAE(イギリス模型飛行機協会)が開始した「ウエークフィールド競技」だと考えられます。その後、FAIも模型航空を重要な活動と認め、1935年にFAI Aeromodelling committeeを組織しています。

 この競技は、1951年に開催・運営がFAIに移り、現在まで80数年間にわたっていて続いています。従って、現在数10種目に分化した模型航空の世界選手権種目全ての根源となっているのです。現在のウエークフィールド杯を個別に見れば、上記のFAIの世界選手種目のうちで、F1B級(フリーフライトのゴム動力機)の個人優勝者に授与される賞杯でもありますが、SMAEが寄贈を受けて以来、長く重い歴史があり、それ故に模型航空の発展に重要な役割を果たしています。

 余談ながら、このウエークフィールド杯の現在の保持国は日本で、現物は当・日本航空協会の金庫に保管されているはずです。昨年(2009年)、クロアチアで行なわれたフリーフライト世界選手権で日本選手団の西沢選手がF1B級ゴム動力機(ウエークフィールド規格種目)で優勝して持ち帰ったからです。

 日本のモデラーは、戦前からウエークフィールド級の機体を作り、飛ばしていました。1939年の優勝機であるアメリカのコルダ機は、対米戦争中も正当に評価され、最高級の模型飛行機として何機も製作されました。戦後は、1953年にアメリカで行なわれた世界選手権に三善清達氏が初参加して以来、毎回参加してきました。但し、日本の水準が世界に追いついたのは1970年代以降です。

 カップの正式呼称は「Wakefield International Cup」または「The Lord Wakefield Trophy」で、「W杯」と略称されますが、これを「ワールド杯」と読むと模型航空界ではモグリ扱いをされるそうです。

図1:ウエークフィールド杯

図1:ウエークフィールド杯

銀製で高さ45㎝。1928年にウエークフィールド卿からSAMEイギリス模型航空協会)に寄贈され、以来、世界選手権者に授与される。1950年から、FAIが世界選手権開催を引き継ぎ、当カップも管理している。

2. ウエークフィールド杯(W杯)競技に就いて

 模型飛行機、あるいはその競技の最初の興隆期は、1908年~1914年でした
第2回参照)。ブレリオのドーバー海峡横断飛行から、第1次大戦開始までの間、イギリスを中心とし模型航空ブームが続きました。当時としては時代の先端を行く高価な遊びであったので、階級社会のイギリスでは、王立飛行協会を基にした上流富裕層の活動であったようです。

 この環境下に初代のW杯が1911年に寄贈されました。高さ18インチ(45cm)、金メッキのスターリング・シルバー・カップでしたが、第1次世界大戦中に行方不明になりました。初代のW杯競技は短命で状況は伝わっていませんが、一般的には双発推進式エンテ型のA字型ゴム動力機による距離競技と滞空競技であったと思われます。

 現在の銀杯は1927年に寄贈された同形の2代目で、両方ともロンドンの老舗銀器店Sansom&Crewickの製品です。2代目のW杯は、大戦のブランクをはさんで、初代より10数年後に寄贈されたものです。環境となる航空技術も進歩しており、競技内容もSMAE(イギリスの模型協会)によって深く検討されています。

 2代目のW杯は、模型飛行機の国際競技を目的として、サー・チャールス・ウエークフィールド(寄贈当時の呼称。以降は位階が上がっているため、時代によって呼称が変わっている)からSMAE(イギリス模型飛行機協会、現在の名称はBMFA)に寄贈されました。寄贈者については後述しますが、要するに草創期以来のイギリスの模型航空活動の大スポンサーでした。

 SMAEは、カップの寄贈を受けるに当たって周到に計画し、国際競技実施のためのシステムを固めています。つまり、競技規定や競技会の運用規則をあらかじめ定めて、運営資金面まで考えた上で、寄贈を受けたカップを基にした国際競技を立ち上げたわけです。だから、W杯は単なる優勝杯ではなく、国際模型航空競技の起点・象徴といえるのです。

 はじめの競技規定(1928)には次のような項目が含まれています。
 ・動力はゴム・エンジン・圧縮空気等何でもよいが、胴体内に納めること。 
 ・胴体は一定以上の太さを持つこと。(断面積は全長の2乗/100以上)
 ・自力で地上より発航すること。(ROG:離陸発航)
 ・主翼面積は無制限
 ・最大重量11ポンド(約5kg)
 ・3回の飛行の最大滞空時間を成績にする。(各回にやり直しは無い)

 最初の構想としては、当時開発されていた巨大なエンジン機まで含めた競技でした。つまり、W杯はあらゆる動力の模型飛行機の世界最高の機体に対して授与されるわけです。したがって、全体を包含するために機体の大きさは無制限に近いものでした。しかしながら、1928年当時は模型飛行機用のエンジンが未発達で、それでもゴム動力機に歯が立たず、1934年の改正でエンジン機は削除され、ゴム動力だけに限定されました。

 上記の歴史と重ねると、草創期の「何でもあり」的なウエークフィールド級規格は、現在のような限定的な競技規格以前の時期に採用されたと考えられます。以来、試行錯誤で経験をつみ、国際競技規定も洗練・完備されてきました。運営面もノーハウが積み重ねられました。

 1951年にSMAEはFAIにウエークフィールド競技の開催権を譲りました。グライダーやエンジン機の競技種目がFAIの国際競技に組み込まれたのも1951年です。模型飛行機の競技の大枠はすでに存在していましたから、当該機種の仕様制限と、特殊操作(エンジン運転時間、グライダーの曳航など)を決めればよかったわけです。だから、現在の模型飛行機のフリーフライト競技システムは、ウエークフィールド競技として発想された基本を改良したものといえます。

図2:最初のウエークフィールド杯獲得機(レプリカ)<br>928年/ ニューエル選手(イギリス)

図2:最初のウエークフィールド杯獲得機(レプリカ)
928年/ ニューエル選手(イギリス)

 ウエークフィールド級ゴム動力機は数回の規定改正を経て、現在のFAIのフリーフライト競技種目のF1B級に至っています。FAIスポーティングコードの分類に拠れば、50余種目の国際級の一つになりますが、その優勝機に授与されるThe Lord Wakefield Trophyは、上述のように模型航空競技の起点・象徴であり、別格なのです。

3. 国際競技のカップの寄贈者

 W杯を寄贈し、SMAE(イギリス模型協会)に模型飛行機の国際競技の基礎システムを作らせたウエークフィールド卿(位階があがってから:Lord Wakefield of Hythe:Charles Cheers Wakefield:1859-1941)は、当時のイギリス貴族です。イギリスの位階制度では地位によって呼称が異なり、「Sir」が付いたり「Lord」が付いたり時期によって違うのでややこしいのですが、カップの呼称では上位の「Lord」になっています。

 同卿は世襲貴族ではなく、潤滑油「カストロール」を発売し、モータリゼーションの興隆によって成功した実業家で、慈善活動と公職によって位階を得ました。早い時期から航空に関心があり、1911年に模型飛行機競技に対して初代のW杯を寄贈、1927年に現在の2代目W杯を寄贈、SMAE(イギリス模型飛行機協会)の活動に対しても長期的に援助しています。

 同時に、同卿は自動車やモーターボートの競技にも賞杯を寄贈していますから、商品関連分野の振興という要素もあったのかもしれません。但し現在は筆者の知る限り模型飛行機以外のW杯は無いようですから、よりメジャーな分野は多数のカップ群の中に埋没してしまった可能性があります。模型飛行機の、それもゴム動力機のW杯だけ生き残ったことは、皮肉ではあります。

ウエークフィールド卿は1941年に死去しましたが、慈善団体 The Wakefield & Tetley Trustは現在も存続し、ホームページがあります。但し、模型航空関連の活動については触れられていません。
また、カストロール社は英国石油の子会社として存続しており、同社の日本支社には「ウエークフィールド・ルーム」と呼ばれる会議室があるそうです。

4. 模型飛行機の国際競技の発展(その1、第2次大戦の前)

 1928年から「ウエークフィールド杯競技」つまり実質的な模型飛行機の世界選手権競技が始まりました。前述のように、開始した当時の競技規定にはエンジン機が含まれていて、あらゆる機種を包含した無制限級の模型飛行機の世界一を競うのが目的であったと考えられます。但し、エンジン機に関しては10年くらい時代を先走りしていたようで、この時代には個人レベルで使える模型飛行機用の小型エンジンは出現していませんでした。

 草創期のウエークフィールド杯競技には、巨大なエンジン機が出場した記録がありますが、ゴム動力機と勝負できる性能ではなかったわけで、1934年の規定改正でゴム動力機だけにされてしまいました。だから、常識的には「ウエークフィールド級」と言えばゴム動力機を指します。

 第1回(1928)はT.H.ニューエル、第2回(1929)もR.N.バロックと、地元イギリス選手が優勝しました。
 第3回(1930)になると、アメリカから遠征したジョー・イアハートが劇的な勝利をして、W杯は大西洋を越えてアメリカの手に移りました。この時のアメリカ選手の勝利は、模型飛行機の歴史の上では大事件で、その経緯と波紋に付いては次回の「バルサ革命」にて詳述します。バルサ材導入と言う大きな技術革新のほかにも、地元英国選手以外の優勝者の出現は重要な区切りであり、W杯競技が名実ともに世界一を争う国際競技になった証拠でした。
 第4回(1931)はイアハートが地元のアメリカで連覇。第5回(1932)もアメリカのゴードン・ライトでした。第6回(1933)はイギリスのJ.W.ケンウォーシーが取り戻し、第7回(1934)もイギリスのJ.B.オールマンでした。模型飛行機競技もホームが有利のようです。
 第8回(1935)はアメリカのゴードン・ライトが2度目の優勝、第9回(1936)はイギリスのアルバートA.ジャッジが取り戻し、第10回(1937)は初めて英米以外のエマニュエル・フィロン(フランス)が割り込み、より国際的な競技になりました。
 第11回(1938)はジム・カイル、第12回もディック・コルダとアメリカが連覇したときに第2次世界大戦が始まり、W杯競技は10余年中断され、カップは戦後の再開までアメリカに保管されました。

 世界選手権に使われた模型飛行機は、最高級の機種です。フィロン機やコルダ機は、戦時中の日本でもトップエンドの模型機として盛んに作られ、高く評価されました。戦中の日本の模型航空界は、前章で触れたような戦時教育に利用された反面、アメリカのコルダ機が作られ、アメリカの模型雑誌の記事が公平に評価されて市販誌に引用されるなど、当時の世の中よりはリベラルな面がありました。

5. 模型飛行機の国際競技の発展(その2、第2次大戦の戦後復興)

 模型飛行機の国際競技の戦後復興は、1948年頃から始まりました。W杯競技は1948年に再開され、イギリスのロイ・チェスタートンが優勝しています、戦後の混乱期でもあり、この競技会を世界選手権に含めるかどうかに付いては異論もあるようです。

 1949年~1950年は、アルネ・エリラ(フィンランド)の連覇、1951年、52年はズンネ・シュタークとアルネ・ブログレンのスエーデン勢の連覇と、北欧が主導権を握りました。その後に登場した新顔チャンピオン国を追えば
   1953年アメリカ、54年オーストラリア、55年西独、59年チェコ、
   63年東独、65年デンマーク、75年北朝鮮、79年イスラエル、
   89年ポーランド、91年ソ連、93年ウクライナ   と国際色豊かです。日本は1953年から参加していますが、上位に絡むようになったのは1970年代頃からで、フリーフライト種目では21世紀に入ってやっと世界一になれました。

 戦後復興の更なる出来事として、新たなフリーフライト種目の追加(曳航グライダーとエンジン機)が上げられます。これで、第1回に取り上げた3種の模型飛行機の子孫が世界選手権種目に揃ったことになります。グライダー競技(ノルディクA/2級、現F1A級)とエンジン機競技(FAIパワー、現F1C級)は、正式には1951年から始まりました。この時期にW杯競技の開催権が、SAME(イギリス模型航空協会)からFAIに委譲され、以降はFAIが模型飛行機の世界選手権(ゴム動力機、曳航グライダー、エンジン機)を開催することになります。

図3:戦後初期のウエークフィールド級ゴム動力機(現F1B級)の設計図

図3:戦後初期のウエークフィールド級ゴム動力機(現F1B級)の設計図

動力ゴムが無制限だったので、できるだけ大量に積む努力が払われた。
(上)A.エリラ機(フィンランド)/1950年優勝。ゴムをギヤで繋いで、2倍の長さを搭載
(下)H.コール機(アメリカ)/胴体を延長して長いゴム束を搭載
なお、両機は同じ規格で、翼幅はほぼ等しいが、胴長は1.5倍くらい違う。

図4:初期の曳航グライダー(ノルディックA/2級、現F1A級)の設計図

図4:初期の曳航グライダー(ノルディックA/2級、現F1A級)の設計図

(上)前衛派の第1回優勝機。O.チェパ(オーストリア)
(下)伝統派の第2回優勝機。B。グーニック(ユーゴスラビア)
同規格であるので両機とも翼幅は同じ

 図5:初期のエンジン機(FAIパワー、現F1C級)の設計

 図5:初期のエンジン機(FAIパワー、現F1C級)の設計

(上)ヨーロッパ在来型の第1回優勝機/シュミット(スイス)
(下)以降の主流となったアメリカ式パイロン(高い翼台)機/第5回優勝C.ホイーリー(米)

6. 競技種目の拡大・増加

 第2次世界大戦直前に、アメリカで操縦型模型飛行機(Uコンとラジコン)が発明・開発され、アメリカの国内模型大会では競技が行なわれていました。その普及に伴い、FAIは国際級の競技に取り上げました。

 1951年に、Uコンのスピード競技(F2A級)、1954年にスタント(曲技)競技(F2B級)とチームレース競技(F2C級)、1960年に、ラジコン(RC)のスタント競技(F3A級)が、世界選手権種目に採用したのです。

 FAIでは、競技種目を「アルファベット」、「数字」、「アルファベット」と言う表記で区分しています。最初のアルファベットは、FAIの管理している各種航空スポーツ、たとえば実物の飛行機、グライダー、ヘリコプター、さらにはハンググライダーやパラシュートなどの区分を示し、模型航空は上記のように「F」です。

 2番目の数字は最も古いフリーフライト種目が1、2番目に採用が決まったUコンが2、3番目のRCは3と言うように、模型航空機の中の大きな形式の区分を示していて、現在は7まであります。

 最後のアルファベットは、大きな形式の中の小区分を示しています。たとえばフリーフライト(F1類)では、Aがグライダー、Bがゴム動力機、Cがエンジン機を示します。これも本来は採用順なのですが、フリーフライトの場合はすでに3種目が揃っていたために、もっとも単純なグライダーを先頭にしたのだと思います。前述のように、古さの順ならばゴム動力機が先頭のはずですが、現実はそうなっていません。

 フリーフライト種目では、以来、室内機、小型機などが追加され、検討中の種目を加えるとアルファベットはUまで使われていますから、欠番を考えに入れても20種目近い競技種目があることになります。F2類以下を加えると、総種目数は50を越えています。

 この種目別呼称は変更されませんが、中身の仕様数値は歴史的には何回も変わっています。国際級競技に使われる模型飛行機の始まりは、前述のウエークフィールド級で、現在はF1B級と呼ばれているものです。この機種を例に取ると、制定されたとき(1928)は5kgもあるエンジン機まで含まれた仕様制限でしたが、ゴム動力に限定されたときには8オンス(227g、FAIに移管されてメートル法になってからは230g)になり、搭載するゴムの量も最初は無制限で150gも積んでいたのが、数回の改定(切り下げ)を経た現在は30g以下です。

 空力的な効率は年々向上しますから、可能な滞空時間の向上し、飛行場に収まらなくなります。これに対処するために、動力を切り下げ、機体重量を増やすような制限を加えて、性能を切り下げる改定が何回も行なわれています。だから「1960年の規定のF1B級」と言うように時期を限定しないと、仕様や性能を正確に把握・評価できません。
模型飛行機の競技規格(FAIスポーティングコードなど)は現在のものだけでも辞書のような厚い文書であり、それに歴史的な改廃・変遷を加えると膨大で複雑なシステムです。

出典
 図1 World Free Flight Review by William H. Hartill、1978
 図2 The Encyclopedia of Model Aircraft・by Vic Smeed、1979
 図3,4,5 Model Aeronautic Year Book 1951-2 by Frank Zaic
 図6 The Encyclopedia of Model Aircraft・by Vic Smeed、1979
 図7 The World of  Model Aircraft・by Guy R. Williams 1973

編集人より

大村和敏氏は元模型航空競技・ウェークフィールド級日本選手権者であり、模型航空専門誌にも寄稿されています。

執筆

大村 和敏

日本模型航空連盟

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