歴史にみる模型飛行機の顔さまざま
(7)模型航空力学の登場

1. はじめに

 模型飛行機は、基本的には実機と同様に航空力学の理屈どおりに飛行します。だから、FAIも早い時期(1935年)から航空機の一種と認め、実機と全く同等に記録や競技を統括・管理しています。

 ところが、航空力学の研究が進み、詳細な実態が明らかになると、飛行速度によって空気の挙動が違うことがわかってきました。その一例が、1950年頃に話題となった「音の壁」です。飛行速度が音速に近づいたとき、従来の航空力学の延長では説明できない状況が生じました。いわゆる「超音ジェット機」を開発するために、各国の戦闘機メーカーが苦労したわけです。

 他方、模型飛行機は小型で、飛行速度も遅く、それ故に機体に接する空気の流れの挙動が実機と異なる場合があります。このことは、昔から理論的には予測されていたのですが、掘り下げて研究されることは少なかったのです。「超音ジェット機」のほうは、一国の航空戦力に影響する問題ですから、国が巨額の研究費をつぎ込んで追求します。それに対して模型飛行機のほうは、実用的なメリットが無かったために、メーカー・研究所・大学などが本気になって研究しませんでした。

 後に区分して認知された「低速空気力学」、「模型空気力学」は、1930年頃までは学問的には処女地であったのです。従って、上記のような問題が表舞台では明らかになっていませんでした。このような環境で、NACA(NASAの前身)などの大手の研究機関は、高性能になった風洞を使って翼型特性などの航空力学の基礎データを続々と公表しました。このようなデータがあれば、机上で航空力学の公式を使って、ある設計の飛行機の飛行性能を計算することができます。当時の、航空力学を勉強していた上級のモデラーは、これらのデータを基に机上で「無敵の高性能機」を設計して、その時点では大満足であったと思います。

 今まで独自な理論体系を持たなかったモデラーたちは、このような環境では実物の航空界の定説を鵜呑みにせざるを得ません。大メーカーや研究所や大学で実物の飛行機を扱っている先生方は、野原のモデラーたちより学識豊かで、全てが優れて正しいのだと言うことになり、一斉に実機ベースの設計思想に転じてしまいました。確かに、正則の教育を受けてきた航空力学者と、野の独学のモデラーを同じレベルで比べることは不遜な話です。しかしながら後世の結果を見ると、模型飛行機には正則の航空力学体系では知られて居なかった独自の分野があり、全ての点で専門学者の流儀が正しいわけではなかったのです。

 1930年代に、実機の翼型データに基づいて設計された「高性能模型飛行機」中には、きわめて性能の悪いものが少なくなかったのが実態でした。このように実機データに振り回された苦い経験は、模型飛行機の技術史上は回り道になりましたが、いわゆる「模型空気力学」の問題提起になり、以後の発展に貢献したと評価するべきです。

2.模型界が実機用データによって啓蒙された

 アメリカの航空技術を高めるために、NACA(アメリカ航空諮問委員会:NASAの前身)が作られたのは1920年代で、1930年代になるとその効果が出てきます。「NACAテクニカルリポート」として、何百もの基礎研究や基礎データが発表されていきました。

 1930年代と言えば、実機の世界では針金だらけの羽布張り固定脚複葉機が、軽金属モノコックの引っ込み脚単葉機に変身した躍進期で、ゼロ戦(十二試艦戦:昭和12年・1937年試作開始)、ME109、スピットファイヤ、B17、DC3などが誕生した世代です。1930年代のNACA資料は、この躍進に大きく貢献しました。模型飛行機でも、職人芸的なアプローチから脱却して、科学的・論理的な方法が模索された時期で、空気力学が学ばれ、性能計算も行われるようになりました。

図3 1930年代の近代化。支柱・張り線など邪魔者がなくなった翼は厚くなった。

 このような背景の時期に、NACAの最新鋭の風洞が測定した最新の翼型特性データが、NACA翼型座標(翼型を正確に描く資料)とともに公開されました。理論派の先輩オピニオン・リーダーたちは実機界の最新理論を模型飛行機向けに読み替え、模型飛行機の雑誌や参考書に啓蒙的な記事を提供しました。

 正攻法で模型飛行機の設計を行なう場合、「性能の推定」と言う机上チェックが不可欠です。紙の上で性能計算を行なって、目標との差異を量的に把握して、機体を作り出す前にその対策を行なうわけです。一般に、主翼の抗力は機体全体の70%を占めると言われます。主翼の揚力は、実機の場合は当然100%です。だから、主翼の空力特性(揚力・抗力など)がわかれば、全機の性能はおおむね推定できます。

 そういう筋書きがありますから、翼型特性データがあれば模型飛行機を理論的に設計することが出来ます。理論派で勉強家の先進的なモデラーは、いち早くNACAなどから発表された資料を取り入れ、最新の翼型を基に模型飛行機を設計し、飛ばしました。性能計算をすると、今までの模型飛行機の実績よりも2倍くらい飛ぶはずでした。

 ところが、最新の「優秀翼型」の中には今までの模型翼型より多少は良いものもありましたが、全く使い物にならないものもあり、実機ベースのデータ資料の信用は失墜しました。つまり模型飛行機は、美しく見えた実物飛行機の仮面を被っては見たものの、風神やサーマルの女神には手ひどく振られたのです。そこで、仮面を外して素顔のあばた面に戻ったところ、とたんに風の神にモテ始め、良く飛ぶようになったのです。

3、模型飛行機の翼型特性の特殊性の発見

 流れの状態を示す指標に「レイノルズ数」があります。簡単に言えば(流速×流れの中の物体の寸法)に比例する数です。模型飛行機は実機に比べると速度も翼弦(コード:翼の飛行方向の長さ)も1/10以下ですから、レイノルズ数は2~3桁は低く、翼型の性能は大きな差が生じます。要するに、模型飛行機はレイノルズ数が低いので性能が悪いのです。

 1938年当時、バージニア州ラングレーフィールドにNACA(NASAの前身)研究所があり、模型飛行機でも良く使われたNACA4字番号翼型(6409、2412など)の設計者であるイーストマン・N・ジェーコブスが居ました。大御所ジェーコブスは付近の模型クラブの依頼を受け、翼型に関する講演と、参加モデラーが持参した模型翼の煙風洞実験を行いました。

 次々とテストされた沢山の<模型翼の>翼型のうち、一枚だけズバ抜けて失速角が大きいものが、古い模型機から切り取った多桁翼(リブの上下に多くの細い桁を配置した翼)で、工作がひどく下手なため桁がリブより1mmも飛び出し、翼の上面がでこぼこになっているシロモノでした。

 失速角が大きければ最大揚力も大きくなりますから、そういう翼型は「性能のよい翼型」です。従ってこれは、“常識”外れの意外な出来事でした。但しジェーコブスはプロとして、球に鉢巻をし、あるいはゴルフボールのようにディンプルを付けた場合に、気流の剥離が遅れて抗力が減ることは知っていたはずです。だから、失速角が小さい翼の上面に紐や針金を置いて境界層を乱流に導き、失速角が大きくなることを実験して見せました。

 そして、『翼型は失速角が大きいことばかりが大切なのではない。このような乱流発生装置は常用迎え角における性能を悪くするだろう。』とコメントしたそうです。NACAテクニカル・レポート457に、翼面の上面の粗さが(実機のように高レイノルズ数のときの)性能を悪化させることもわかっていたので、実機の専門家としては上記の忠告は当然と思います。

 しかし、煙風洞実験を見たモデラーたちはジェーコブスのコメントを無視して、翼の上にバルサ棒を貼り付けた模型機を飛ばしました。このように表面の流れを故意に乱流化した翼を、現在では「乱流翼」と呼びます。ここでは、モデラーのひらめきが正しかったわけで、結果は悪くも無かったようです。これが米国における「模型機の乱流翼」の始まりとされます。多桁翼構造は戦後も踏襲され、世界選手権で上位に居たJ.フォスター、J.ビルグリなどのウエーフィールド機に使われています。

 同時代の1930年代末のドイツでは、F.W.シュミッツ博士が乱れの少ない低速風洞を使って、模型飛行機の翼の計測を始めており、その結果は戦後に
「模型空気力学」(F.W.Schmitz:AERODYNAMIK  DES MODELFLUGS)
として発表されます。本書は、小型で低速の模型飛行機の翼の特性を、正則の学者が研究した最初の文献とされ、戦後の理論派モデラーのバイブル的な文献になりました。1950年代の模型航空界は、シュミッツの理論を現実化したドイツのモデラーが引っ張ったと言えるのです。

4、「模型空気力学」草創期の翼型探し

 低レイノルズ数の翼型特性があちこちで測定され、それが発表されるようになったのは近年です。それ以前の翼型データは、フリーフライトモデラーの立場から見ればはなはだ怪しいものでした。また「模型空気力学」と言う言葉も無くて、モデラーは実機の理論体系頼りでした。

 だから、実機ベースの評価に引きずられて、後世の目で見ると明らかに横道にずれた翼型選択が行われたのです。そのために、さまざまな悲喜劇が生じました。先輩各位は、そのような不確実な環境下で、ひらめきに基づく推論とテスト飛行の試行錯誤を行い、性能向上を模索したわけです。

 1930年代以降の飛行機近代化時代(実機)には、有害抗力を大幅に削減して高速化を指向しました。だから、厚くて高速飛行向きの翼型を「新式の高性能翼型」と持ち上げたはずです。以前の飛行機の形は支柱と張り線で保たせた複葉でしたから、翼だけで強度を保たせる片持ち式の単葉では、翼自身を厚く丈夫にすることが必要でした。従って実機の世界では、揚力が低い状態で効率の良い、カンバー(翼型の反り)の少ない厚翼が主流となりました。(図2 参照)

 他方、フリーフライトの滞空用模型機はゆっくりと沈下が少ない姿勢で飛び、下面が凹んだ薄い高カンバー翼が適していました(図1、6参照)。これは現在の知識では明確ですが、当時はモデラーのおぼろげな「感じ」に過ぎず、実機のデータに明記された性能数値に引きずられ、実機の「優秀翼型」を模型機に採用した例が少なくなかったようです。

 1930年代の模型飛行機の正味の実力は、滑空比が10くらいでした。滑空比は前進距離と沈下距離の比率で、揚力と抗力の比率(揚抗比)と同じ数値になります。「飛行機の性能が良い」と言うことは「抗力が小さい」と言い換えられますから、滑空比・揚抗比の大小は「高性能」の指標になります。実物飛行機用の高いレイノルズ数の翼型特性を基にして模型機の滑空性能を計算すれば、机上では滑空比が20を超える超高性能機が出来ましたが、野原に持ち出して現実に飛ばしてみればすぐに化けの皮がはがれました。実戦派のモデラーが厚くてカンバーの小さい実機用の「高性能翼型」に、短期間で見極めを付けたのは当然だと思います。

 要するに、高いレイノルズ数の実機用翼型データは、NACAや高名な研究所・大学が発表したものでも、鵜呑みにすることは模型飛行機用としては適当でないことが、短期間で判明したのです。

 5年ぐらいのタイムラグの後、1940年前後の日本の模型飛行機の参考書に上記の翼型情報が引用されています。たとえば「模型航空機の設計:原愛次郎・浅海一男」には、クラークY、RAF32、NACA6512、グラントX8、ゲッチンゲン593、エッフェル400、EKN16、NACA0009、NACA23012の翼型の作図用座標が収録され、クラークY、RAF32、NACA6512、グラントX8の翼型特性データ(翼型性能の曲線)が掲載されています。

 ここで興味深いのは、上記の翼型特性データは、NACAなどより発表されたもの(測定レイノルズ数は100万以上)ではなく、イギリスのケンブリッジ動物学研究所のささやかな低速風洞(鳥類用?)データが使われているところです。データのレイノルズ数は60000内外で、フリーフライト模型機に近いものです。測定者は、同研究所の研究員(鳥類学者?)と見られるE.J.ボードリル、A.H.W.マクビアンで、模型界への初出は不詳ですが、エアロモデラー誌のような模型雑誌だと思われます。

 つまり、大きな研究組織が測定した翼型データでも、レイノルズ数が大きい(高速・大型機を想定)ものは、模型飛行機には利用できず、ささやかな設備を使った測定で多少怪しくても、レイノルズ数が模型機に近いデータが選択されたのです。

5、乱流翼導入:模型空気力学の啓発時代

 1935年くらいから戦争をはさんで1950年くらいまで、翼型の情報を与えられ、その評価方法や、部品として模型機に利用する手法まで、モデラーが翼型の正則な扱い方を学んだと言う意味で、この期間は「翼型啓発時代」といえます。
翼型特性は機体全体の飛行特性を決定する重要な部分ですから、「翼型=空気力学」と読み替えてもよいわけで、翼型啓発時代は模型空力啓発時代でもあったわけです。とにかく、この期間に、モデラーは自分の模型飛行機を正則の手順で設計することを会得したわけです。但し、啓発時代のスタートは実機の理論に主導されましたから、少しだけ回り道をしたと言えます。

 模型飛行機に独特の空気力学特性として、低いレイノルズ数に起因する性能低下があり、その有効な対策として翼面の乱流化がありました。フリーフライト模型機における乱流翼の採用は、翼型の啓発期を下敷きとしてその後半期(1940年頃~)に始まりました。競技場で実用化されたのは1950年頃からですが、戦争による中断が無ければ数年は早くなったと思います。

 実機空力のプロのジェーコブス(第3節参照)も、乱流効果の一般的な知識は持っていたわけですが、フリーフライト模型飛行機という分野で、その美味しいところだけをつまみ食いするには、モデラーが模型機に試用して現実に飛ばしてみることが必要でした。

 そのためには、試行錯誤に便利な形式の乱流装置が適当でした。初期に流行った前縁張り出し乱流線は、当時は現在の貼り付け乱流棒や粗面よりも使いよかったと思います。

 定説がない時期ですから、乱流装置の形や位置の自由度が大きく、できれば着脱が可能な形式のものを、さまざまなやり方で応用してみる必要がありました。その点、翼面そのものは加工・変形をせず、外側(前縁の前方約10%)に乱流線を張る方法は、位置・線の太さや材質などバリエーションを試みることが可能でした。最悪の全く効果がない場合は、簡単に取り外して普通翼に戻すことも可能で、片翼だけ取り付けて効果を見ることも出来ました。
今日的に見ると、逃げ道を用意した思い切りの悪い方法ですが、当時の知識としてはせっかく苦心して作った主翼に対して、はじめから「ざらざら」や「でこぼこ」に加工するような破壊行為は、怖かったのだと思います。

最近は張り出し乱流線が見られず、貼り付け乱流棒や、多桁構造、粗面など、永久構造の乱流法が主流になってきました。乱流効果が確実なものとなり、逃げ出して普通翼に戻す必要がなくなったため、製作・保守が簡単な上記の永久構造形式に移ったと考えられます。
この環境になると、草創期に流行した張り出し乱流線は、持ち運びにかさばり、壊れやすく、同じ状態を保つことに注意しなければならないので、減ってきたと言えるでしょう。

図6 強制乱流翼の各種(左図より説明)

図6 強制乱流翼の各種(左図より説明)

張り出し乱流線:前縁から10%くらい前方に太さ0.5~1%のナイロン糸や糸ゴムを張る。
貼り付け乱流棒:前縁直後に1%くらいの太さの紐または角材を貼り付ける。
3D型または「トライアングル」
:前縁直後に高さ1%くらいのジグザグの段差を付けるか、三角形を並べて貼り付ける。

6、翼型を選択できる環境

模型飛行機の翼型は、実機翼型のデータ発表に啓発されて重視されるようになったのですが、はじめは実機に同調して同じ翼型を無選択に使って失敗しました。このような翼型の選抜・淘汰は、設計どおりの正確な断面の翼を作れなければ出来ません。第3節で取り上げた「出来損ない翼」が高性能を発揮した例は、怪我の功名であって再現性は無いわけです。

 模型飛行機の正確な翼を作る技術は、「バルサ革命(第5回)」によって可能となりました。硬い木のリブ材(翼断面を形作る翼小骨)は、削りだすのに手間がかかり、1枚の重量も大きかったので、リブの数は少なくしなくてはなりませんでした。だからリブの間隔は大きく、正確な翼型は再現されず、翼型間の微妙な性能差は明らかに出来なかったのです。

 軽く削りやすいバルサ材を使うことによって、リブ材を細かい間隔で入れられるようになって、以前よりも格段と正確な翼が手早く作れます。「バルサ革命」項の末尾にある、競技場の宿舎で大形翼を一夜漬けで作ったエピソードは、バルサ材を使った模型機の生産性の高さを裏付けます。このような模型翼の製作環境が整って、初めて「良い翼型」と「悪い翼型」が、誰にでも区別できるようになったわけです。

 模型機に不適当な翼型は、断面に対応した悪い飛行特性が正確に発揮されるようになったため、多くのモデラーに見放されて淘汰されました。模型機に適当でない実機の「高性能翼型」はたくさん発表されましたが、比較的短期間のうちに排除されてしまいました。その反面、NACA6409翼型のように実機用として発表されても、モデラーが模型機に使い、実績を上げて生き残った翼型もあります。

 多数のモデラーが正確な断面の翼を作り、野原で実験したから、このような選別が短期間で可能であったと言えます。文字通り「野」に在り、独学と試行錯誤で模型飛行機を作っていたモデラーが、データに基づいて翼型を選択して、それをもとに機体を設計し、机上の性能計算で評価し、設計を修正して性能向上を図るという正則の技術・手順を使えるようになったウラには、バルサ革命があったのです。

7、模型空気力学の確立期

 レイノルズ数の小さい模型飛行機独特の挙動や、乱流翼に関する知識は、1960年以降普及を続け、一般化しました。理論派ではない一般の競技出場者も、原理はブラックボックスにしても、乱流翼を飛行調整のテクニックとして使いこなすようになりました。各種の乱流装置の効果も、正確な翼の製作を前提として、同様にテスト飛行で判断され、優劣がついてきました。乱流翼が有効な種目(F1A級、F1B級)の世界選手権出場機では、現在では半数に近い機数が乱流翼を使っています。

 反面、技術進歩によって模型飛行機の範囲が広がり、強力なエンジンを搭載した操縦型(RC,Uコン)模型飛行機など大型・高速のものが増えました。これらは飛び方やレイノルズ数が実機に近く、実機の翼型データがそのまま使えます。つまり、実機の航空力学の理論で扱えるわけです。

 従って、「模型飛行機」が空気力学的には「模型空気力学」と「(実物)空気力学」に分かれてしまいました。模型空気力学が適用される機種は、フリーフライト機や、小型のRCグライダー、室内機などで数量的には少数派ですが、プロの航空学者が扱わない分野なので未開拓な部分が多く、面白い新事実が見つかる可能性は大きいのです。

1980年頃から、D.アルトハウスなど大学・研究所などに所属する航空学者が、風洞を使って模型翼・模型翼型の測定を行い、モデラーもその結果を利用できるようになって来ました。測定の精粗はありますが、10種程度の翼型から自分が作る機体に使うものを選択できるようになったわけです。

 1930年代にNACAや他の研究所・大学などから発表されたデータは、翼型の種類こそ豊富でしたが、模型飛行機に使う場合はその特性が信用できませんでした。従って、モデラーは形を睨んで自分の感覚で選択し、ダメモトで作ってみて選別するという手数が必要でした。

 その後、ケンブリッジ動物学研究所の鳥類用風洞やシュミッツの研究など、模型飛行機のレイノルズ数のデータが散発的に発表されていますが、翼型も種類が少なく限られているために、好みに合うものを選び出すことは困難でした。
だから、翼型探しに関するモデラーの環境は、現在ではかなり好転してはいるのです。

 違う攻め口として、いわゆる「コンピュータ風洞」があります。要するに、翼型の外形(座標)とレイノルズ数などの条件を入力すると、翼型特性が出力されるソフトです。エップラーの翼型集はこの方法で作られ、RCグライダーなどに利用されています。一般のパソコンで利用できるソフトもあるようですが、成果は未知数のようです。しかしながら、将来は自分で翼型の設計をする時代となりそうです。

 用途が模型飛行機だけならば遊びの世界ですが、地球以外の惑星の大気中を飛行する探査機は、模型飛行機に近いレイノルズ数になることがわかったようです。大気の組成が異なり、粘性や重力の大きさも違うためですが、「模型空気力学」も実用になる時代が来るかもしれません。

編集人より

大村和敏氏は元模型航空競技・ウェークフィールド級日本選手権者であり、模型航空専門誌にも寄稿されています。

執筆

大村 和敏

日本模型航空連盟

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