2011年フリーフライト世界選手権  記憶に残る大会

1.重い決断

 2011年5月、アルゼンチン内陸部の小さな町、エンバルセで開催されたフリーフライト世界選手権はいろいろな意味で記憶に残る大会となるでしょう。それは、長い日本のフリーフライト競技の歴史の中でも初めての、チームとしての世界選手権への参加を取り止めた大会になったことです。

 フリーフライト模型飛行機の世界選手権の歴史を遡ってみると、日本人が初めて出場したのがまだ海外渡航が高嶺の花だった頃の1954年です。その後も参加を続けましたが、個人で参加することはあっても経済的な理由でチームとして参加することはありませんでした。

 60年代にかけては、Proxy (代理飛行)と呼ばれる、機体だけを現地に送り、代理の外国人選手に飛ばしてもらうやり方が一般的でした。フリーフライト競技は3種目(F1A:グライダー、F1B:ゴム動力機、F1C:エンジン機で各種目3名の選手が出場できる) ありますが、70年代に入るとF1Bを中心として少数の選手をコンスタントに送り込んでいます。

 70年代後半から3種目の選手を送り続け、フルチームとはならない大会もありましたが、棄権することなく現在に至っています。その間に日本選手は競技を行う上で非常に大きなハンディキャップ(場所が狭くて練習が出来ない等)を抱えながらも、個人成績で2位、3位という年もありました。

 2年毎に開催される世界選手権ですが、2005年のアルゼンチン大会でのF1C個人優勝、2007年のウクライナ大会でのF1B団体優勝、F1C個人2位、そして2009年のクロアチア大会でのF1B個人優勝、F1C 団体優勝という輝かしい成績を残しています。しかしながら、今年のアルゼンチン大会にはチームとして参加を辞退することになりました。

2.東日本大震災

 前回2009年のF1Bのディフェンディングチャンピオンを擁し、F1C の団体優勝も果し、好成績が期待される今回の日本チームでしたが、準備の最終仕上げの段階の3月11日、東日本大震災が発生しました。津波の被害、原発の被害がどんどん大きくなって行く中で、復旧の糸口さえ見えない状況が続き、参加選手の心に大きな動揺が見られました。

 このような状況下で、航空スポーツの一つである模型飛行機の世界選手権に、私たちは果たして参加しても良いものかと言う気持ちが強くなってきました。「明るい話題を提供するためにも是非頑張ってきて欲しい」という仲間の皆さんの声もありましたが、その時点では頻発する強い余震や計画停電が続き、原発の被害もどんどん拡大する中で、このような時に2週間以上も遠くアルゼンチンまで行ける自信が私たち選手にはありませんでした。

 熟慮に熟慮を重ねた末、最終的に2011年のアルゼンチン世界選手権への不参加を選手全員が正式に決定し、日本航空協会、日本模型航空連盟にも伝え、正式に承認されました。

 世界選手権の時にいつも準備するチームTシャツのデザインもすでに決まって、業者に発注する段階にありましたが、地震発生後、直ちに発注をストップしました。世界選手権への参加はなくなりましたが、せっかく準備したチームTシャツを、今回の地震の被災地の皆さんへの義援金として、この売上金を使っていただこうということで制作作業を再開しました。 シンプルですが、白地に日の丸をイメージさせる印象的なデザインのTシャツやポロシャツ、ステッカーなどを作ることができました。

3. 問題発生

 参加を取り止めるには大きな決断が必要でしたが、決断後に更に大きな問題が発生したのです。それはクロアチア大会で持ち帰った3つのトロフィー類 (F1B個人優勝1個、F1C団体優勝2個) の「返還」という問題です。

 各種目の優勝者には持ち回りのトロフィー類を次回の大会に持って行くという義務があります。個人と言うよりも国(その国の航空協会)として前回、持ち帰ったトロフィー類は返還しなければならないのです。もし前大会で好成績をあげることなく、何のトロフィーも獲得していなければ参加辞退の通知だけで済んだのですが、トロフィー類の返還という問題が起こったのです。

 日本航空協会には3つの、値段のつけようもない貴重なトロフィー類が2年間保管されていました。どれも貴重なシロモノですが、特に模型航空界で最も古く、格式のある競技の賞杯であるWakefield Cup / ウエークフィールド・カップは、50年以上の歴史がある純銀製の価値のあるものです。F1C団体優勝のFranjo Kluz TrophyとKosmonautic Vaseの合計3つを「国際宅配便」という手段で送ることを考えましたが、アルゼンチン側の税関の問題で取り扱えないとのことを知りました。

 モタモタしていると世界選手権に間に合わなくなってしまい、表彰式に連綿と継承されたトロフィー類が新チャンピオンに手渡せないとなると、長いフリーフライト世界選手権の歴史に大きな汚点を残すことになります。いろいろ検討した結果、団長の私、自らが運び屋となって、前回獲得したトロフィー類をアルゼンチンまで持って行くのが一番だということになりました。

返還された3つのトロフィー類

Wakefield CupFranjo Kluz TrophyKosmonautica Vase
F1B個人優勝F1C団体優勝F1C団体優勝

4. ミッション

ウエークフィールド・カップ

ウエークフィールド・カップ

 前回大会でクロアチアからトロフィー類を運んできたのですから、アルゼンチンまでそれを運ぶのはそれほど難しいものではないとは言え、一人で開催国アルゼンチンに3つのカップやトロフィーを運ぶのは相当大変なことであるとは容易に想像できます。F1C団体優勝の2つのトロフィーは機内持ち込みできますが、ウエークフィールドカップはその大きさから受託手荷物として預けなければなりません。

 成田-アトランタ-ブエノスアイレスの旅で、日本から一番遠い地球の裏側まで行くのですから相当の覚悟が必要です。便の関係で乗り継ぎ時間もたっぷりすぎるほどで、たどり着くのに約30時間もかかりました。長時間のフライトには耐えられても、預けたカップが紛失するのではという不安な気持ちを持ち続けての長旅はかなりのストレスです。ブエノスアイレス空港で、荷物のターンテーブルにトロフィー類の入ったコンテナが見えた時、思わず涙が出そうになりました。

 アルゼンチンまで業者が荷物を送ることが出来ない理由は、税関のシステムが非常に複雑なためで、1000ドル以上の品物には一律高額の税金が課せられます。今回のように値段のつけられないような貴重品ではありますが、商品ではないと言う証明書の発行手続きが非常に面倒で、品物を引き取るにはかなりの日数もかかるとのこと。これでは間に合いません。

 運び屋として持っては行ったが、税関で引っかかった場合に困るであろうということで、大会主催者のスペイン語で書かれたレターと、日本航空協会からも優勝トロフィー類を返還のためにアルゼンチンに持ってきたという英文のレター、更にはFAIのフリーフライト委員会の委員長のレターも準備しました。

 万全の態勢で臨みましたが、税関では「コンテナの中身は何か?」も聞かれることなく拍子抜けでした。出迎えてくれたアルゼンチン関係者に手渡すことが出来た時、「ミッションコンプリート」の安堵感でいっぱいでした。

5. 世界の仲間の励まし 

 今回の日本の参加辞退を世界の仲間は非常に残念に思っています。しかしながら地震のニュースは世界に配信されていますので、わが国の置かれた状況を理解し、そして心配もしてくれ、参加辞退に納得してくれました。長いフリーフライト世界選手権の歴史のなかでも、トロフィー類を返還のためにわざわざ団長が開催国に行くという前例はないでしょう。

 「参加したかったがこのような状態では参加できない」という残念な思いを伝え、仕上げを急がせたチームTシャツ1枚も一緒に持って行き、日の丸も手渡しました。参加こそ出来ませんが、開会式で、出来れば他の国と同じように国旗を掲揚してくれるようにお願いし、チームTシャツにメッセージを書き込んでもらうようにお願いしました。

 開会式の式典で、主催者側から日本が震災の影響で不参加ではあるが、団長がわざわざアルゼンチンまでトロフィー類を届けてくれたことが紹介されると、各国選手団から大きな拍手があったと聞いています。さらにお願いしたTシャツへのメッセージも書ききれないくらい多くの選手が書き込んでくれました。国を超えて、多くの仲間が日本のことを思ってくれたことにとても感謝しています。

 チームTシャツは予想以上に多くの仲間が買ってくれました。世界選手権の開会式でも紹介されましたので、各国の選手も購入したいとのリクエストが多くありましたが、荷物の発送などの問題があるためにお断りしました。被災地への義援金と言う形で、全額を日本模型航空連盟主催の競技会などで集められる義援金と一緒にして寄付することになりました。

 2011年フリーフライト世界選手権は参加を辞退はしましたが、これほどいろいろな意味で、記憶に残る大会は今までになかったと思います。次回2013年はフランスで開催されますが、国内の選手は出場に向けてすでに動き始めています。

続編

6. トロフィーがおかしいぞ?

 団長が苦労してアルゼンチンまで送り届けたトロフィー類ですが、世界選手権も終わって、全ての団長業務から解放されたと思っていたところ、新たな問題が発生しました。大会も終わり、世界選手権の写真が海外のホームページで紹介されています。それを見た、前回2009年のクロアチア大会でのチャンピオンである西澤選手が、「ウエークフィールド・カップの蓋がありませんね」と連絡をくれました。

 上に掲載した左の写真は西澤選手の2009年の表彰の時のカップです。右の写真が今回のアルゼンチン大会で優勝したロシア選手が表彰台に立ってカップを抱えている写真ですが、確かに蓋がありません。前回チャンピオンだったからこそ、本カップを手にした選手だからこそ、この写真を見てすぐにおかしいと気が付いたのです。

 返還したトロフィー類のコンテナには確かに蓋を入れたはずですが、自信がなくなってきました。専用コンテナに収納する時は蓋を外しますが、私が入れ忘れたはずはないし、手渡す時にも確認をしています。その後アルゼンチン側も「蓋がありません」とは言っていないので、日本側には責任はないはずとは思ってみても、蓋は一体どこへ行ってしまったのでしょう。

 心配になり、陪審員で大会に来ていたFAIの委員長に問い合わせたところ、「私も表彰式でカップをチャンピオンに手渡したが、蓋があったかどうかは記憶がない」との返事です。そこで委員長からカップを持ち帰ったロシアのチームマネージャーに問い合わせたところ、「蓋はちゃんとコンテナ内にあります」とのこと。これで一件落着。

 由緒あるたいへん貴重な優勝カップでありながら、大会関係者の誰一人として蓋がないことに気が付かないとはお粗末な話です。とにかく何から何まで団長を悩ます記憶に残る大会となりましたが、めでたしで終わることができました。

執筆

金川 茂

2011年フリーフライト模型飛行機世界選手権
日本選手団・団長

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