パラグライダー・アキュラシー選手権 アジアチャンピオンまでの道程
航空スポーツ
パラグライダーとは
パラグライダーと聞いて、「アーあれね」と分かっているような人にさらに聞くと、「あの三角形をしたものにぶら下がって、うつぶせで飛ぶあれでしょう?」と言った返事がよく返ってきます。それは正確には、ハンググライダーのことです。私はハンググライダーでも飛んでいたので、40年近く前に日本に入ってきたハンググライダーのことを説明するのに、パイプと布で出来た三角形をしたグライダーと言っていたことが大変懐かしく思い出されます。
パラグライダーとは、正しくは、四角いパラシュートのようなもので、グライダーのように滑空するものです。パラシュートと言えば、ゆっくりと降下するものだとイメージされるので、それと似たような格好をしたパラグライダーが、上昇気流をつかまえて500km(現在の世界記録は、南アフリカで2008年に達成された502.9km)も飛ぶことが出来るとはなかなか想像が出来ないことでしょう。
パラグライダーの生い立ち
パラグライダーは1970年代後半にフランスの登山家らが下山の道具として飛び始めたのが始まりと言われています。その当時はいわゆる四角いパラシュートを使っていたので、滑空すると言うよりは、正しくは前進しながら降りると言った方が適切な表現であったと思います。日本にこのパラグライダーが入ってきたのはそれから約10年の後になります。当初は、山頂から斜面に沿って飛んで降りる程度の性能でしたが、年々改良が行われ、1990年代からは、上昇気流を掴まえて高度3000m以上にも上がり、100kmを超える距離を飛べるようになりました。したがって、パラグライダーは現在における最も手軽で安価に、鳥のように空を飛ぶことのできる道具と言えます。
パラグライダーで飛ぶには
1人前のパイロットになるには、専門のスクールに通って、実日数で30日くらい、講習料金だけ(スクールへの行き帰りの交通費などは含まず)で数万円かかります。その後はマイグライダーを揃えなければならないため、そのお金が40万円くらいかかるので、お手軽なスポーツとは言えないところが玉にきずでしょうか。
そこまでいれ込まずにも、お手軽に鳥になった気分を味わうにはタンデム(インストラクターとの2人乗り)と言う手があります。こちらでしたら、1回10分程度のフライトで1万円でお釣りが来ます。昨年夏、かなり好評であった映画『最強のふたり』をご覧になった方なら、タンデムフライトがどんなものかお分かりと思います。インストラクターと一緒にフライトするので、安心して鳥になった気分が味わえます。かなりこの映画に影響されたのか、例年では9月を過ぎるとタンデムフライトのお客さんがぐんと減るのですが、昨年は10月一杯、毎週末タンデムのお客さんで賑わっていたと富士山のふもとのスクールでは言っていました。
パラグライダーはスポーツ
このパラグライダーですが、れっきとしたスポーツで、国際航空連盟FAI(サッカーで言えばFIFAに相当する)が管理する世界選手権が2年に1回開催されています。その世界選手権には、クロスカントリーと言う上昇気流を使って距離を飛ぶ種目、アキュラシーと言う地上におかれたターゲットに出来るだけ近くに降ろす着陸の精度を競う種目、そして空中での技を競うアクロバットと言われる種目の3種目があります。
クロスカントリー種目では第1回が1989年にオーストリアで開催され、今年、第13回がブルガリアで開催されます。アキュラシーでは第1回が2000年にイギリスで開催され、今年、第7回がボスニア・ヘルツェゴビナで開催されます。アクロバットは2006年に第1回がスイスで開催されましたが次回の開催は未定です。
クロスカントリー種目の大会は、毎日その日の気象条件に合わせて、30~100kmのコースが設定され、出来るだけ短時間でそのコースを飛びきることで競い合います。その判定には、最近携帯電話にも組み込まれているGPSを使って、フライトした軌跡をコンピューターにダウンロードして行います。かなりハイテクを使う競技なのですが、観客としては、選手が飛び立つところは見えるものの、その後、どのようにコースを回っているのかを実際に見ることは出来ません。最近の技術で、コンピューターの画面上にどの選手がどこにいるかを見ることが出来るようにはなりましたが、全く臨場感が無いので、面白いとは言えません。
一方アキュラシーは、かなりローテクで、地上におかれた直径30cmのパッドと言われる円盤の中心にある直径3cmの円をターゲットとして、いかにそれの近くに着陸するかを競うもので、観客としては、分かりやすく、面白いものと言えます。そのため、今年の7月、コロンビアのカリで開催される第9回ワールド・ゲームズ(オリンピックに採用されていないスポーツ競技を集めて行われる世界規模の競技会。4年に1回開催される)では、スカイスポーツ競技としてこのパラグライディング・アキュラシーと、スカイダイビングによるキャノピー・パイロッティング(水上におかれた時間計測のための入口と出口とからなるマーカーを水面すれすれで出来るだけ短時間で通過した後、出来るだけ長い距離を飛んで着地し、その時間と距離を競う競技)が採用されています。
私は、このワールド・ゲームズに採用されたアキュラシーの種目で、競っています。と言うのも、通常クロスカントリーの種目では、毎日2~5時間ほど飛ばなければならず、かなり体力的にしんどいものだからです。今年、齢65歳になる私は、年の割には元気にしていますが(自分ではそう思っている)、毎日それだけの時間飛んで10日間も続く様な世界選手権は端から無理と自覚しています。一方アキュラシーでは、1フライトが数分で、1日にせいぜい5、6回飛ぶだけですので、比べるとだいぶ楽なのです。
アキュラシーとの出会い
私が初めてこのアキュラシーの大会に参戦したのは、2006年2月、リトアニアで開催されたプレ世界選手権(本戦となる世界選手権の前年に、選手及び主催者にとっての練習を兼ねて行われる大会)です。既に、2000年からアキュラシー世界選手権は開催されていたので、かなり遅れての参戦でした。しかし、着陸精度を競うのは、ハンググライダー・パラグライダーともに、このスポーツの黎明期にははやりましたが、その後上昇気流をつかまえてより遠くへ飛ぶことが主流となり、グライダーの性能の向上に反比例するように、いつの間にか廃れてしまった物でした。それが東ヨーロッパの国々とイギリスで復活し、世界選手権も開催されるようになったのです。そこで、どのように競技が行われているか、世界の実力はどの程度なのかをこの目で確かめようとリトアニアまで行ったのでした。
リトアニアのプレ世界選手権は冬の開催で、凍った湖の上で行われました。通常パラグライダーは山の斜面から飛び立つのですが、そこでは、トーイングと言うエンジンで凧のように引っ張り上げる方法で飛び立ち、150mほどの高度を取ったところでラインを切り離し、そこからグライダーをコントロールしてターゲットを狙う方式で行われました。湖が凍るような場所なので、当然のように気温は低く、自分の番が回ってくるまで身体を冷やさない様にするのに苦労した思い出があります。このときのもう一つの思い出は、ホットビールです。ホットワインは、結構ヨーロッパのスキー場で飲んだことがあったのですが、ホットビールは初めてでした。体が温まるのは良かったのですが、あまりおいしいとは言えません。ビールはやはり冷えて無ければ美味しくないですね。
この大会で、どのように大会がオーガナイズされるか確認できたので、それでは日本も世界選手権に参加しようと決心し、翌年の本大会へ向けて、早速国内大会を開催し、選抜チームを作り私を含め5人の選手で参戦しました。出発前に、現地の状況に出来るだけ慣れるようにとのことで、雪の積もった寒い東北で、それも世界選手権で採用されるトーイングで離陸する形で合宿を行ったのですが、生憎天気も良く全く寒くない状況で、思惑外れでした。しかし現地では、連日氷点下。しまいには、気温がマイナス15度以下になったら、安全を考慮して競技は行わないと言ったルールが出来ることに! アキュラシーの競技は、微妙なコントロールを必要とするので、寒さは大敵なのです。実際、大会期間中マイナス15度以下になり、しばらく競技を見合わせた日もありました。日本ではこれほど寒い時にフライトすることは無いので、慣れていないせいか、日本選手の中にウイルス性の風邪にかかり周りの選手に移してひんしゅくをかう場面もありました。
結局9日間の日程で12本フライト(国際競技規則で1大会での最高フライト本数は12本に制限されている)し、私は日本選手でのベストではありましたが、69人中14位。そして国別で日本は14カ国中7位でした。初めての世界選手権としてはまあ上出来と言えるでしょう。それと、スロベニアの圧倒的強さ、それに続くチェコ、イギリスと言ったアキュラシー先進国の強さを思い知らされ、今後に向けての発奮材料を頂きました。
2009年トリノ大会で悔しい思い
続く国際大会は、リトアニアの2年後、イタリアのトリノで開催された2009年ワールド・エアーゲームズ(エアースポーツのオリンピックと言われるもの)です。ここでは、ターゲットが湖の上に浮かべられた25m四方のポンツーン(浮桟橋)に設けられていました。ターゲットから6kmほど離れた山の上から飛び立ちこのターゲットを狙うのです。運が悪ければ途中の気流によっては、ポンツーンに届かず、敢え無く水面にポチャッと落ちてしまう趣向です。これは観客にとっては嬉しい趣向ですが、選手にとってはかなりのプレッシャーです。と言うのも、万が一湖に落ちてしまうと、グライダーを始め、ハーネス(パイロットはこれに座ってパラグライダーにぶら下がる)などの装備品を乾かさなければならなくなるからです。この悪夢のシナリオに何人かの選手がはまって、観客を大いに楽しませたものでした。
そして、何を隠そう、私もはまってしまいました。それまで表彰台圏内にいたのですが、途中の下降気流につかまり、ポンツーンの手前1mに着水してしまったのです。その時の悔しさは、今でも忘れません。きっと観客は拍手喝さいだったことでしょう。その次のフライトで、生乾きのグライダーで飛んだところ、ターゲットを狙っている最中に失速してしまい、2度目の着水となってしまいました。これはもう観客サービスのし過ぎです。これで、敢え無く入賞も遠のいてしまいました。はじめのうちがとても好成績であったので、そのギャップを受け入れるのが大変つらかった記憶があります。しかし勝負の世界は最後まで何があるか分からないとの教訓を得ることが出来たのが収穫でした。
その後、2009年クロアチア、2011年チェコの世界選手権に参戦しましたが、個人としての私も、チームとしての日本も成績は今一つでした。
アジア選手権
そして昨年、第1回となるアジア選手権が6月に台湾で開催されました。会場は、台北から南東約30kmのイーラン市で、海辺の小高い丘から浜辺に向かって降りるもので、海風が安定しているため、アキュラシーには絶好のロケーションです。また、ここは日本でいえば別府のような温泉地でもあるので我々日本人には非常に快適な場所でした(台湾では通常温泉と言えば、水着を着用して入る、日本の温泉プールみたいなものですが、ここイーランには、日式と言って、日本の様に素っ裸で入る温泉もあるのです)。6月と言えば、台湾では梅雨が明け、連日晴天に恵まれるかと思われていたのですが、実際に現地に入ってみると、季節外れの前線が停滞し、雨の合間を縫って競技を行うような羽目になりました。この点サーマルと言う上昇風が無ければ全く競技が出来ないクロスカントリー種目と違って、アキュラシー種目は融通がききます。
ヨーロッパではスロベニア、ブルガリア、セルビアと言った国が強いのですが、アジアではインドネシア、中国が強敵です。今回、中国はフルエントリー(男子5人+女子2人)してはいたのですが、何故か男子1名しか選手は来ていませんでした。したがってインドネシアと日本の一騎打ちの様相でした。チーム戦は、各国7人の選手のうち上位4人の点数を合計して決めます。アキュラシーは、着地した地点からターゲットまでの距離をcm単位で計測しますので、点数が少ないほうが良い成績になるのが、普通の競技と違うところです。インドネシアは7人とフルエントリーでしたが日本は男子5人(岡、横井清順、川村眞、山谷武繁、古賀光晴)に女子1人(東武瑞穂)の6人で、少しハンディを背負っての戦いでした。
1本目から3本目までは日本がトップ。4本目で追い抜かれて、2位に後退し、10本目に4cmの差で再びトップに返り咲きました。個人では、私は20cm差で4位、2人のインドネシア選手を挟んでトップは、山谷選手でした。最終となる11本目は、国際規則に則り、それまでの順位の逆順で選手はスタートします。つまり私は最後から4番目のスタートになります。個人はともあれ、チーム優勝がかかっています。なんでも第1回の結果は、未来永劫ついて回りますので、何とか勝ちたいとプレッシャーがかかります。それでも、一度離陸して空中に浮いてしまうと不思議とプレッシャーから解放されます。やれるだけのことをいつもの様にやるだけと妙に達観してしまうのです。そして結果は、まあまあの9cm。出来れば有終の美を飾って0cmを出したかったのですが、ベストはつくしたと思いました。恐らく、私の後に続く選手は、私より良い結果を出すだろうなと漠然と考えていたのです。
が、何と、後の3人が全員大きく外してしまったのです! トリノで得た教訓がよみがえりました。「勝負は最後まで何があるか分からない。」まさかと思っていた個人金メダルが手の中に落ちてきました。その代りチーム金メダルがするりと手から落ち、銀メダルに変わってしまい、素直に喜べない結果となってしまったことは大変残念でした。それでも、個人総合それに、女子で大健闘した東武選手が金メダルに輝き日本としては2冠を達成できたことは、今後の日本のアキュラシー界にとって良い刺激になったと思います。これをばねとして今年8月に迫った世界選手権ボスニア・ヘルツェゴビナ大会にむけて練習に励みたいと思っています。